7-1.難問・珍問互いに研鑽し合いましょう。

第7章 Let's Q&A.

7-1.難問・珍問互いに研鑽し合いましょう。

わが子よ。もしあなたが、私のことばを受け入れ、私の命令をあなたのうちにたくわえ、あなたの耳を知恵に傾け、あなたの心を英知に向けるなら、もしあなたが悟りを呼び求め、英知を求めて声をあげ、銀のように、これを捜し、隠された宝のように、これを探り出すなら、そのとき、あなたは、主を恐れることを悟り、神の知識を見いだそう。主が知恵を与え、御口を通して知識と英知を与えられるからだ(箴言2:1-6)。

 聖書は創造主自らが私たち人類に与えられた著書であり(Ⅱペテロ1:21、Ⅱテモテ3:16)、私たちを含め全宇宙のすべてのものがいかにして存在するようになったかが、明確に述べられています。
その後、人が創造主にどのように背き、その後も背き続けてきたか、人々の反逆にどんなに主が悲しまれ、憤られたか、それでもなお大きな愛と慈しみで包んでおられたかが、怒濤の迫力で書かれています。
そして、極限の愛によって罪を赦し永遠のいのちに至る道へ、どのような過程を経て人類を導かれたかが示されています。聖書は真理を語り(箴言30:5-6、詩篇18:30、33:4)、いのちの喜びと将来への希望を与え、そして生きていく指針を与えています。
したがって、私たちが抱くあらゆる疑問に対して、聖書は解答を与えているのです。
聖書が完全に読みこなせていれば、いかなる難問が押し寄せようとも、解答は全て聖書から得られるはずです。

 ところが、著者がお書きになった意図通りに聖書を読める人は、残念ながら、古今東西、地上に存在したことがないようです。
それどころか、聖書の重要な柱になっている点についてさえ、目隠しをされているかの如くに人には見えなかったことが、人類史上余りにも数多くあったことを、私たちは知っています。
地球が球体で空間に浮かんでいると聖書に書かれていることを(ヨブ記26:7, 10、箴言8:27)、人類は長い間知りませんでした。
信仰義認(創15:5, 6、詩篇32:1, ローマ3:22-24, 10:10、創6:8 & ヘブル11:7)という重大な真理は、人類史の初めから何度も聖書に記載されていたのに、人々には隠されていました。
聖書は限られた聖職者しか読むことが出来なかった十六世紀初頭、マルティン・ルターが信仰義認の真理(ローマ書)に辿り着くまで苦しみ回ったことから判るように、聖職者も聖書をそのようには読んでいなかったのは明らかです。

 聖書に書かれている根本的なこと、重要な真理が、現在、どれくらい人類の目に隠されているのか、誰も知りません。
人類全体が知らないことが余りにも膨大に存在していることは、万人の認めるところでしょう。
少なくとも天文学者や生物学者は、科学がこれだけ進んでも、人類は余り何も知らないということを知っています。
むしろ、科学が進めば進むほど、自然界・生命体の中に未知の世界が広がっていくことを驚異のまなざしをもって見つめ、これらをこのように深遠に、秩序正しくお造りになった創造主に対して、深い尊敬と畏怖の念を抱かずにはおれなくなるのです。
宇宙がどれくらい広く深いのか、生命とは何か、生物の種類を決める遺伝情報がどうなっているのか、分けても人の魂、霊はどのようなものか、様々な難解な疑問に対する解答が聖書にどのように書かれているのか、実際のところ、現在の人類に理解できる状況には至っていません。

 これほどの難解な問題ではなくても、聖書には果てしもなく膨大で深遠な真理が盛り込まれているのです。
少数の人々だけが知っているに過ぎない数々のこと、かなりの人数の人々が理解していても、なお知らない人々が大勢いて共通の理解になっていないことなど、聖書を読み進めるに従って、読めば読むほど数多くの理解できない疑問が湧き上がってくるのではないでしょうか。
聖書は信じて読み、書いてある通り受けとめればいいのだ、信仰が堅ければそんなに判らなくてもいいのだ、と聖書を理解しようとする行動を批判する人々がいます。
しかし、書いてある通りに受けとめようとしても、何が書いてあるか理解できなければ、どのように受けとめればいいのかわかりません。
書いてあることに疑義を差し挟むことと、正しく読もうとして理解を深める行動をすることとは全く別なのです。
信仰の成長の一助とするためには、正しく読んで、主がお書きなった通りに理解する必要があるのです。
特に、原典を読めない民族は、翻訳された聖書を読んでいるのですから、これはなおさら重要なことなのです。

 実は、神のかたちを与えられた人は、時・永遠・宇宙空間を思い、頭脳活動をし、抽象的に考える能力、科学し、創意工夫する能力を与えられ、他を顧みる心、道徳的良心、感謝する心等、素晴らしい特性を与えられたのです(伝道 3:11, 詩篇9:1、箴言2:1-6、マタイ5:48)。
神の言葉をおっしゃった通りに知的に、そして魂でも、霊でも判るために、互いに励まし合い、教え合い、研鑽しあってこそ、神のかたちを映された人という存在であるのだと筆者は考えています。

 講演に行く先々で、大勢の方々から様々な質問を受けます。
質問者はしばしば「こんな初歩的な質問をするのは恥ずかしい」と思っています。
しかし、初歩的な質問であればあるほど、実は重要で、根本的な課題であることが多いように思います。
連続講義をひとまず中断して、これら難問・珍問にお答えする欄を設け、今まで出てきた質問や、今後寄せられる質問・疑問を考え、学び、祈り求めて、可能な限りお答えしたいと思います。
質問のある方は、「聖書と科学欄」とタイトルを付けて、当教会のメールに質問を送って下さい。この欄でお答えさせていただきます。