7-17.難問・珍問進化の痕跡器官?[5]「小腸の門番:虫垂」

第7章 Let's Q&A.

7-17.難問・珍問進化の痕跡器官?[5]「小腸の門番:虫垂」

しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。(Ⅰコリント12:18-22)

 前々項において、「モーチョー」と間違って呼ばれていた虫垂炎の辿った医学史を概観し、無知であることと頑迷であることのもたらした悲劇を垣間見ました。
また、前項においては、虫垂を持っているのは人類と類人猿と、有袋類及び齧歯類のうち少数の種だけであることや、虫垂の解剖学的側面を述べて、虫垂と進化とはどのような関係もないことを明らかにしました。

 前項で高校の教科書の実情を少し説明しましたが、大学の教科書でも研究の結果が反映するまでに非常に長い期間がかかっています。
ある米国の教科書では、1988年の第二版では、一つの章に「進化の残存器官として悪名高い虫垂」と書き、同じ教科書の別の章には虫垂が「免疫と密接に関係する」と、全く矛盾することが書かれています。
ところが1996年の第三版では、痕跡器官としてはニシキヘビの後肢のみが記述され、虫垂や扁桃などは痕跡器官から除外されています。
そして、動物の消化器官を記述しているところで、人でも虫垂が炎症を起こすことがあるとのみ記述して、その役割は書かれていません。

 元NASAの宇宙調査研究所所長として活躍した優秀な物理学者・天文学者であるロバート・ジャストロウ教授は、その著「誰が宇宙を創ったか」(原題は「神と天文学者たち」)で、宇宙の始まりに関する研究について言及して、次のように言っています。
「科学者が明らかにした事実が自身の信条と相容れない場合、科学者の科学的な精神は苛立ち始める。この事実と信条との衝突など無いかのように振る舞ったり、あるいは、それを意味のない言葉で包んでしまったりする。」

 人にとって自己の信条を否定するのはそう容易なことではなく、天文学であれ、生物学であれ、また学問でなくても、他のどのような分野であっても類似のことは、始終起こっているのです。
確固たる信条を持つ人、科学者でも研究に打ち込んだ人であればあるほど、築き上げた信条を捨てるということは苦渋の決断を迫られることになるのです。
虫垂が進化の痕跡器官などではなく、意味のある臓器であることを認めるまでに、科学者たちはこれほどに躊躇し、苦悩し続けているのです。

 かつて全く無用のものであると断定されたこの小さな臓器・虫垂が、実は痕跡器官ではなかったとすると、一体どのような生理的役割を果たしているのでしょう?
各種のバクテリアが繁殖している大腸から、ほとんど無菌状態の小腸に結合する入り口である盲腸から付きだしているのが虫垂であり、どこへもつながっていない出口のない臓器です。
消化管の一部ですが、消化作用に関してどのような役割を果たしているのかは解っていません。

 小腸の腸管壁に存在するパイエル板と呼ばれる組織は扁桃に似ている組織で、中には莫大な数のマクロファージが存在しています。
マクロファージは腸管内の細菌を捕捉して破壊し、腸管壁から体内に細菌が侵入するのを防いでいます。
消化管にあるパイエル板や虫垂、喉にある扁桃、気管(呼吸の通り道)などの壁にある発達したリンパ節は、一般に粘膜内リンパ組織、MALTと呼ばれています。
MALTは、呼吸器系や消化器系から絶えず侵入してくる異物や病原体をくい止める歩哨のような役割を果たしているのです。

 このように、虫垂は腸内の細菌バランスをコントロールし、また長期的な免疫を持つ記憶リンパ球をつくることによっても、生体の免疫機能の維持に寄与していると考えられます。

 さらに、虫垂が消化管の中で最もリンパ組織が発達した臓器であることと、虫垂炎の発症とが密接に関連していることを裏付けることも観察されています。

 年齢的に、リンパ組織の発達が最も著しい10~20歳に虫垂炎はもっとも頻度高く発症することが記録されています。
この時期に発症しやすい理由として、生理的なリンパ組織の増殖に加えて炎症に伴う病的なリンパ濾胞(細胞の集合体)の増殖が加わり、虫垂内腔がより閉塞しやすくなるためと考えられています。
虫垂は加齢とともにリンパ組織が減少し、線維化することにより虫垂の内腔は狭小化していくため、20歳以降は罹患数が減っていきます。

 興味深いことは、「急性虫垂炎は天気が良い日に多い」とある外科医が指摘したことから、顆粒球及びリンパ球の増減と気圧の関係が調査され、高気圧に覆われた天気が良い日は顆粒球が多く、天気が悪い低気圧の場合はリンパ球の比率が高くなる傾向があるという結果が得られました。
新潟大学の安保教授らは、「天気の良い日に増えた顆粒球が虫垂を攻撃し、膿の溜まった壊疽性の虫垂炎が増えやすい」と説明しています。

 シロアリが固い歯と顎で噛み砕いて食べた木の繊維を腸内細菌によって消化させている共生や、山羊が紙を食べるのも腸内細菌との共生によることはよく知られています。
人間と細菌との共生は意外にも余り知られていませんが、大便の三分の一は細菌の死骸であると、このシリーズ前に紹介しました。人の大腸に棲む腸内細菌の種類は約300種類、数は 約100兆個、総重量は約1 Kgにもなると言われています。腸内細菌は人間の各種臓器に匹敵する規模と働きをもち、生命活動に欠かすことのできない存在として生きているのです。

 大腸は大きなエネルギーを消費する臓器で、血液が運んでくれるブドウ糖だけでは足りず、必要なエネルギー源の実に7割近くを腸内細菌に頼っていると考えられ、腸の中の細菌の分布が崩れると正常に働かなくなってしまいます。
ビフィズス菌などの善玉菌を盲腸と虫垂が協同して効率よく増殖させる重要な働きをして、腸内細菌叢を正常に維持していると考えられています。
リンパ系が発達している虫垂は、増え過ぎた悪玉菌を殺す役割をしているとも提唱されています。


参考文献:Robert A. Wallace, et al. ”Biology, The Realm of Life”( 2nd & 3rd Edition) ; “Human Anatomy & Physiology” by Elaine N. Marieb; J-Medical 医学事典 、LiSA 2002年3月号; Jerry Bergman, Technical Journal 14(2), 95-98 (2000), AiG; Cecie Starr & Beverly McMillan, “Human Biology”, 7.7, p.125, Thomson Books/Cole; 静岡赤十字病院の病院ニュース