7-13.難問・珍問進化の痕跡器官

第7章 Let's Q&A.

7-13.難問・珍問進化の痕跡器官

それで神は、海の巨獣と、その種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、その種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた(創世記1:21, 25, 26)。

『扁桃は、お猿さんだった頃の残り物だからいらないんだって。だからお父さんが手術で切り取ってくれたのよ』
『さすが!』
高校生の頃、父親が耳鼻咽喉科のお医者さんで、自分たちの知らない高等なことを知っているこの友人に、私たちが感心して聞いたときの会話である。」(『ダーウィン・メガネをはずしてみたら』(安藤和子著)から引用。いのちのことば社刊)

 「進化を証明する痕跡器官が、動物にも人間にも数多く存在します。それをどう理解したらいいのですか?」
このような質問を受けることがよくあります。
人間は、人としての尊厳を骨の髄まで抜き取られて、骨のないクラゲになってしまっているのかもしれません。
全知全能の神に大切にされている存在であるということを忘れ果て、元々は猿かチンパンジーであったと考えることに何の抵抗も感じないで、そういう情けない自分であることに甘んじているのでしょうか?

 人間は物を忘れやすい性質を持っている反面、教わったことを忘れずしっかり握りしめ、テコでも手放さない高度の記憶力と保守性を併せ持っています。
日本においては、進化論的考え方は何世代にも亘って受け継がれてきて血となり肉となっており、教育の場で、またマスコミや商業活動など、日本のあらゆる活動の分野において進化論大合唱をしており、進化論先進国としての面目躍如です。アメーバーから様々な動物を経て魚になり、カエルのような両生類を経て陸に上がり、ワニのような爬虫類を経由して哺乳類になり、陸上でさらに進化して猿になって、猿の子孫が遂に人間になったと考えています。
数十億年の時間経過の中で、この一連の道筋を辿って生物は進化したと信じきっている人々は、国民の90パーセントを上回るでしょう。
仮に、新たに異なった情報がやってきても頭の上を素通りして、この固い信念は決して影響を受けることなく霊魂の奥深くに大切に守られ続けるのです。

 たとえ猿の子孫であろうとも、動物の一番上に君臨しているから良いのだと、意識して考えているわけはないでしょうが、考える以前に心に染み透っている進化論的思想からこのような相対的考え方は芽生えたのです。
すなわち、絶対的な評価基準がないので、すべてのことについて相対的な価値観で判断する進化論思想に基づいて、何かと比べて上でさえあればよいという考え方になるのです。
そのような不思議な考え方が、先祖代々、脈々と受け継がれて、猿と比べられるところにまで人類を貶めていることに気が付きさえしないという大問題が人類に発生しているのです。

 このような思想体系がものの見事に脳の奥底に大切にしまい込まれ、頑固に信じ切ってしまったのです。
そして、それを手放すことにどんなに大きな摩擦が生じるかを、私自身がかつて体験し、そして今は講演に行く先々で観察することになっています。
進化論は科学であると堅く信じているのであるなら、科学的反論に頭を白紙にして耳を傾けるべきだと思うのですが、どんなに論理的、科学的に説明しても、信じていることを覆す人はまれなのです。
「確かにそういう論理は正しいと思うけれども、それでも何十億年という時間は存在したのではないのですか? そして、その長い時間の中では生命は自然発生したのではありませんか? 進化して人類が生まれたのではないのですか? 私はそう思います」という論理以前の信念が語られると、もはや反論するすべはありません。
「進化論は正しい」という大命題を手放すことには、こんなにも大きな障碍があり、心の痛みを伴うのを目の当たりに見せられて唖然とします。

 かくて、進化論が正しいと信じる証拠の一つとして、私たちが人間になる前の先祖たちの痕跡が人間の体に残っているのだと信じさせられるに至りました。
人間の精神的な側面と霊的な側面は、不思議で神秘の奥深くしまわれていてよく分からないと考えている人がほとんどでしょう。
しかし、肉体に関しては、不思議なことによく分かったつもりになっているのです。
動物生理学や人体生理学研究が相当進歩したのは事実ですが、そのためにすべて解明されたかのごとき錯覚に陥ってしまいました。
進化論はその誤解を見事に強化して、肉体の臓器や組織のうち、その生理的機能がよく分からないものは、実は不明ではなく役割がないのだと決めつけてしまいました。
それらは進化の残り滓、進化の証拠を見せてくれる痕跡器官であると、一括して進化仮説に封じ込めてしまったのです。

 では、人間の先祖であると信じられた動物たちは、一体どのようなものを進化の痕跡として人間の体に残したと思われているのでしょうか? 
冒頭に上げた「扁桃」はその一つです。
何事もなければどこにあるかさえ気付かない小さな臓器ですが、炎症を起こして初めてそこにあることを自覚します。
炎症をしばしば起こして苦しむ人にとって、何の役にも立たないで苦しみだけを与えるのだから、簡単に切り取ることができるのなら、扁桃は除いてしまえというのが、四~五十年前の常識であったのです。

 虫垂もまた、故障が起こって初めてその存在に気が付く臓器です。盲腸の端から細長く飛び出している小さな臓器で、一般には盲腸と呼ばれていることも多いようです。これも進化の証拠だと、間違った不名誉な役割を背負わされた臓器です。

 脊椎末端にある、3~5個の尾椎の癒合した小さな骨、尾骨も、猿であった昔の尻尾が退化したものだと、これも本気で一般には信じられているようです。

 このように、痕跡器官として数えられた臓器は1890年には180もありましたが、1999年にはゼロになったと報告されています(AiGのWeb Siteを見てください)。

 昔「痕跡器官」とされたこれら臓器が、現在、医学書にどのように記載されているかを、次項でご紹介します。

参考文献: https://answersingenesis.org/human-body/vestigial-organs/the-plantaris-and-the-question-of-vestigial-muscles-in-man/