7-16.難問・珍問進化の痕跡器官?各種動物の虫垂
人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。(Ⅰコリント8:2)
何事もなければ生涯その存在に気が付きさえしない右下腹部の小さな臓器、虫垂がどうしてこんなに論争の火種になったのでしょうか?
小さくて、何も役に立っていないように見えるのに、時として大暴れをして人を苦しめるので、まさしく不要なものであり、悪いことだけをもたらす「盲腸の付録」であると早合点して結論したところに出発点がありました。
人間の常として、自分たちはすべてを知っていると自惚れやすく、その盲点を真正面から攻撃された一つのことが、この「痕跡器官」論争なのです。
苦しみを伴う「虫垂炎」もさることながら、間違って痕跡器官とされたために人々の関心の的となり、様々な研究・調査の対象となったのでしょう。
まず、この虫垂とは、一体どのような臓器なのか、改めて幾つかの動物種を取り上げて比べてみたいと思います。
表に示したように、無脊椎動物はいっさい虫垂という臓器を持っていません。
さらに、魚類、またカエルなどの両生類、ワニなどのは虫類、そして鳥類など、これらすべての動物は虫垂を持っていません。
また、実は殆どのほ乳類も虫垂を持っていないのです。

虫垂とは、進化の段階の進んでいない動物においては働いていたが、進化に伴って機能を失って小さくなり、痕跡器官として残存している臓器だと説明されていたのではなかったのでしょうか?
これは観察された事実とはほとんど逆の結論です。
系統樹において進化の段階が低い動物には存在しなかった虫垂が、進化が進んだほ乳類で新しく生まれてきたようにも見えるからです。
ところが、そのように考えようとすると、その論理にもほころびが出て成立しません。
ほ乳類の中でも虫垂を持っているのは実は特別で、表に示した限られた種類のほ乳類だけが虫垂を持っているにすぎないのです。
しかも、有袋類の中でもさらに限られたウォンバットやオポッサムなどだけ、齧歯類ではウサギとラットなどが特例的に、そして霊長類では実に類人猿と人だけが虫垂を持っているにすぎません。
しばしば近縁だと思われているサルは、虫垂を持っていません。つまり、ポツポツとある限られた動物種だけが虫垂を持っているということが分かります。
下の表では、いくつかのほ乳類について、食餌の傾向、消化管と体内への吸収機構の特徴、そして盲腸と虫垂の有無と大きさなどを比較しました。
一見して分かるように、消化系の生理機構と盲腸の大小、そして虫垂の有無との間にはどんな関係も見いだせません。それぞれに特別です。
このように解剖学的に、虫垂は「進化」に伴って退化し、痕跡になったものでもなく、逆に「進化」に伴って新たに発生したものでもないことが明らかで、いわゆる「進化」と虫垂の有無との間にはどんな関係も無いことは明白です。
医学・科学の進歩に伴って虫垂の解剖学的所見が得られ、また生理学的機能についても様々なことが判明してきました。
1976年には医学の教科書も虫垂の機能を認め始め、その20年後には、その機能を積極的に記述するようになりました。
現在の大学の生物学・医学・生理学の教科書では、痕跡器官という言葉自身をもはや使っていないものもあり、また痕跡器官という概念を紹介していても、虫垂が痕跡器官の中に含まれていることは2,000年以後に発行された大学の教科書では調べた限りにおいてはありませんでした。
では、高校の教科書がこの件をどのように取り扱っているかを見てみましょう。
チャート式シリーズ「新生物ⅠB・Ⅱ」は1969年の初版発行以来、増刷を繰り返した息の長い教科書ですが、2002年に発行された版には、「痕跡器官とは、現在は痕跡的になっていて、そのはたらきが十分でない器官で、①ヒトの目の瞬膜・犬歯や親知らず・胸毛・虫垂・尾てい骨・動耳筋、②クジラの後肢、③ニシキヘビの後肢」と記載されています。
また、2004.3発行の「理解しやすい生物Ⅰ・Ⅱ」 では、「痕跡器官とは祖先ではたらいていた器官が、進化の過程で不必要なものとなり、現生種では機能を持たず、痕跡程度に残っているものであり、これも進化の証拠となる」と説明されています。
そして、痕跡器官の例として、「ニシキヘビのかぎ爪、鯨の後肢、ヒトの尾骨・盲腸」と書かれていますが、「盲腸」と書かれているのは、もちろん本当は「虫垂」を指しているのでしょう(教科書のこのような初歩的な間違いは、非常に困りものだと思いますが)。
研究の結果を発表する学術書、大学の教科書、そして高校の教科書との相互の時間的、また内容的な食い違いは科学研究の進歩において珍しいことではありません。
しかし、虫垂の生理的機能が明らかになったのは1976年以前、それから大学の教科書に記載されるまでに20年、そして30年以上経過した2007年の現在になっても、高校の教科書には科学研究の成果が反映されないままになっています。
将来を託すべき若者の教育が、このようにないがしろにされているという、心底から悲しむべき出来事が実際に起こっているのです。
次項では、虫垂の生理的機能を少しご紹介したいと思います。
文献:“Human Anatomy & Physiology” by Elaine N. Marieb; J-Medical 医学事典 、LiSA 2002年3月号; J.W.Glover, Technical J., 3,31-38, K.Ham & C.Wieland, Creation 20,41-41(’97), 水野丈夫、浅島 誠、「理解しやすい生物Ⅰ・Ⅱ」 (2004.3) 高校教科書;文英堂、小林 弘、チャート式シリーズ 「新生物ⅠB・Ⅱ」、数研出版 (1969初版、10刷2002)



