7-24.難問・珍問親知らずは進化の痕跡器官か[3]親知らず欠如率

第7章 Let's Q&A.

7-24.難問・珍問親知らずは進化の痕跡器官か[3]親知らず欠如率

そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記1:26,27)

 原因はよく分かりませんが歯が先天的に生えないことがあり、第三大臼歯、いわゆる親知らずは他の歯よりも欠如する頻度が高いこと、そして、民族により欠如率に差があることを前項までに少しご紹介しました。
また、ほ乳類の歯の数は種類ごとに千差万別であり、いわゆる進化の順番との間にはどんな関連も見いだせず、それぞれの種類にしたがって歯の数も整えて創造されたことを示していることも前項で学びました。
この項では、親知らずの欠如率や、歯のサイズ、虫歯などに関して興味深いことを少しご紹介しましょう。

 上・下顎とも第三大臼歯が口腔内で最も遅く萌出してくるのは人に共通ですが、その時期は集団によってかなり差があり,たとえばアフリカ人,ニューギニア高地人やポリネシア人などは日本人やヨーロッパ人よりも2年から4年ほど早く萌出してくるようです。
また、性差も多少あり男性の方が女性よりも早く生えてくる傾向があるようです。
親知らずの欠如率は白人では低く、アジアの北方モンゴロイド集団は欠如頻度が高く、日本人もこの中に含まれています。
そして、最も欠如率の低いのは黒人です。

 では、日本人の親知らず欠如率は、常に一定だったのでしょうか、あるいは時代によって変化してきたでしょうか?図1は親知らず欠如率と歯のサイズ゙の時代変化を示しています。縄文時代の欠如率(%)は約5%と低かったのが、昭和年代には25%と高く4本全部が揃う人は多くないと報告されています。
この二つのデーターから、「時代と共に親知らずは進化(退化)しており、人が進化してきた一つの証拠である」と進化論的説明がされました。
ところが図から明らかなように、弥生時代の欠如率は20%と高く、古墳時代で少し減少し、そして鎌倉時代以後、少しずつ増加して明治時代には30%以上の高い欠如率になっています。
ところがその後、漸減して平成時代の欠如率は15%で、ほぼ古墳時代に逆戻りしています。
このように、増えたり減ったりして、変化は一定の方向には起こっておらず、進化を主張できるようなどんな傾向も見受けられません。

 親知らずが欠如する原因について、いくつかの仮説が立てられていますが明確な理由は不明です。
例えば、上顎と下顎で欠如率を比較すると、昭和中期以後、上顎は29%、下顎は20%、平成時代では、上顎は20%、下顎は12%と、明治時代以後、上顎の方が欠如率は多少高いために、親知らずが崩出する場所がないため、つまり顎の大きさや身体の大きさと親知らずの関係が考えられました。
そして、平成になって親知らずの欠如率が低下したのは、身体の大型化によると考えた人々もいました。
しかし、江戸時代以前は、必ずしも上顎の欠如率の方が高いとは限らず、逆転しているデーターも報告されています。

 図1に、歯のサイズと親知らずの欠如率と対比して示しました。
歯のサイズの変遷もまた、欠如率と同じく変化の方向が一定していないことが分かります。
歯が大きくなって、後から生える親知らずのための場所が占拠されて欠如率が高くなったのだと推測されるような関係はありません。
歯が大きくなっている古墳時代にむしろ欠如率が弥生時代より低く、その後、歯が小さくなっている鎌倉から明治に掛けて、欠如率はむしろ高くなっています。
では、逆の相関関係があるかというと必ずしもそうではなく、このデーターから両者の関係を類推するのは無理があるようです。

 人の歯は32本生えるように初めに創造されましたが、第三大臼歯が「親知らず」あるいは「知歯」として遅れて生えるように創造されたのか、それとも、途中でそうなったのかは分かりません。
しかし、当初創造されたときの遺伝情報は、他の遺伝情報がそうであるように、損なわれ、失われたために、あちらこちらの歯が欠如することになり、32本生えない事態が生じました。
そして、他の歯の欠如率より第三大臼歯の欠如率がはるかに大きいために、進化論と結びつけて考える愚かなことを人は始めたのでした。
しかし、3回に亘って詳細に見てきたように、進化論を示唆するデーターさえ見つからず、当初からそれぞれがそのように創造されたことが明らかであることが分かりました。

 歯という大切な器官のうち、人を悩ませたのは親知らずだけではありません。
人類を苦しめる歯の二大疾患は、虫歯と歯周病ですが、口腔内に棲息する細菌が生成する有機酸が歯のエナメル質を溶かして「むし歯」になるのです。
図2に明らかなように、農耕文化が普及した弥生時代にむし歯の出現率が飛躍的に高まっていますが、その後、江戸時代にはやや高いものの、明治時代まで一応10%前後に留まっています。
しかし、現代、その比率は36%にまで達し、一人あたりでは98%の人がむし歯を経験しています。
ところが,最近ではこの比率は口腔衛生の向上により減少している傾向があり,とくに乳歯のう歯率は著しく減少していると報告されています。

 虫歯の話のついでに、「お歯黒」のことを紹介して話を閉じます。
男性の「お歯黒」は平安時代末期に始まり、上流階級の権威の象徴になるとともに、黒色は、もはや他の色には染まらないことから、「二君に仕えず」という意味の忠節を表していたことが平家物語に載っています。
源頼朝,今川義元,豊臣秀吉も「お歯黒」をつけていたようです。
女性では、平安時代から戦国時代までは娘が成人し一人前になったことを意味していましたが、江戸時代になってからは既婚女性を意味するものとなりました。
戦国時代から始まった力の支配、そして封建制度のもとに、差別する道具としてお歯黒も利用されたようで、既婚女性の「お歯黒」は、「二夫にまみえず」という意味を持っていました。
このように男性も女性も束縛するための強い意味が込められていたようです。
「お歯黒」は「鉄漿(かね)」などとも呼ばれ,化学的にはタンニン酸第二鉄塩で、黒インクと同じ成分です。
タンニンは柿渋や茶渋に含まれている成分で、この化合物は歯のう触抑制作用があることが証明されています。
お歯黒をした人骨の歯にはむし歯が非常に少ないことが多くの学者の研究で明らかになっています。

参考資料: https://ymd20hiro4.sakura.ne.jp/ (歯の豆辞典、山田歯科クリニックサイト)

http://www2s.biglobe.ne.jp/~shunsei/homo.htm#jin  (人類の歯・松本歯科医院)

(歯の人類学・日本大学松戸歯学部)