1-3.生物の相同器官

第1章 進化論の矛盾

1-3.生物の相同器官

それで神は、海の巨獣と、その種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、その種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。(創世記1:21, 25, 27)

オーストラリアに多く住むカンガルーをはじめとする有袋類は、超未熟児の状態で生まれ、親の袋の中で育ちます。一方、有胎盤類は、胎児に充分な栄養を与える精巧な胎盤を子宮内に形成して胎児を育てます。したがって、有袋類に比べると、よく発育した状態で赤ちゃんが生まれます。

ネズミカンガルーとネズミの特徴は非常に似ていて、近くから観察して袋の有無を見分けなければ区別が困難な場合もあります。クスクスという有袋類がパプアニューギニアで初めて発見されたとき、サルの仲間だと誤解されました。クスクスはサルのような顔、前後の足に物をつかめる指、そして木などに巻き付けられる尻尾を持っていたからです。これら以外にも、持っている臓器が一方は袋、他方は胎盤という大きな違いがあるのに、相互に非常によく似た動物が多数存在しています。自然選択と偶然の突然変異という進化の過程で、目的も計画もなく、有袋類と有胎盤類が一対になって極めてよく似た進化を遂げて出現したと考えるのは、無理がありすぎないでしょうか?

科学技術の発展に伴って、様々な生物の特徴を詳細に、また微細構造、遺伝子レベル、分子レベル、分子の構造まで調べることが出来るようになりました。そして、詳細に調べれば調べるほど、首尾一貫した答が得られなくなってきました。ある基準で考えると近い関係にあると思われる生物が、別の基準で考えると遠い関係になってしまいます。得られる情報量が多くなればなるほど、進化の系統樹が混乱してしまう状況が起こっています。

脊椎動物の血液中で、酸素や炭酸ガスを全身へ運び、そして回収する複雑な構造をした赤い色素、ヘモグロビンが、いくつかの甲殻類(ミジンコ)や、いくつかの植物の根にさえ見られているのは、進化論的考えが全く適用出来ません。

又、相同器官と呼ばれている器官が、全く異なった遺伝子によって生じる例が、多数観察されています。進化論者によって相同と見なされている目を持った二品種のショウジョウバエがいますが、この場合、目は異なる遺伝子によって生じます。長い年月にわたって、このような例が多数明らかになりました。有名な脊椎動物の前足の例にさえ適用されます。最初の祖先に当たる脊椎動物の前足を支配している遺伝子が、何百万回も突然変異によって何らかの変化を生じることはあり得ます。しかし、その前足が、これとは別の遺伝子の支配を受けているアザラシのひれ足や、ヒトの上腕に変わったりすることは出来ません。共通の祖先から受け継がれた、同じような遺伝子によって相同器官が生じる、という考えが成立しなくなったのです。

聖書には、海に住むもの、水に住むもの、翼のあるもの、地を這うもの、野原に住むものなど、それぞれの生物をその種類にしたがって、全知全能の創造主が創造なさったと書かれています。それぞれの生物が最高に生きることが出来るように、ただおひとりの創造主の叡智によって特別に創造されたと書かれています。

備考

「異なる動物の同じ器官(相同器官)は、共通の祖先に存在した同じ構造から段階的に派生した・進化した」という信念が、学校教育や様々な教育によって、私たちの頭に深く刻み込まれています。例えば、鳥は卵を産み、羽を持ち、気嚢(空気が入る袋)とつながった特殊な肺を持っています。ですから、すべての鳥はこれらの特徴を持った、一つの共通の祖先に由来すると、進化論者は考えるのでしょう。もし、二つの種類の動物に共通点が数多くあるならば、それらは生物学的に非常に近い関係にあり、共通の祖先を持っている筈であると、進化論的には考えます。このような基本的考えに基づいて、進化の系統樹を進化論者は考えてきました。 一方、創造論者は、鳥がこれらの特徴について共通点を持っているのは、共通の計画に基づいて創造されたからだと考えます。