6-3.堕落の中身

第6章 ノアの洪水

6-3.堕落の中身

さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。神の子らが、人の娘たちのところにはいり、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである(創世記6:1, 2, 4, 12)。

 「旧約聖書の神様は神秘と威厳に包まれて罰を与える恐い神様、新約聖書のイエス様は何でも赦して下さる愛に満ちた優しい神様」、つまり「旧約の神様と新約の神様が別のご人格であるか、或いは新約で変心された」かの如くに、誤解が世間に流れていなければ幸いです。旧約の神様も新約の神様も三位一体の同じ創造主で、初めから、今も、未来も変わらない方であり、御性質が異なる筈はありません。
父なる神・子なる神・聖霊なる神は創造の初めからいらっしゃったのであり、十字架の贖いまでも初めからご計画の中にあったのです(イザヤ53:2-12、ヨハネ1:1-3、ヘブル1:3, 13:8、ヤコブ1:17、黙示録1:8)。
主は霊であり全知全能の完璧な力と愛により、人間をはじめ全宇宙を創造された方であり、慈愛・恵み・真実・誠実・正義・聖・信頼などの言葉で表現される御性質が完全一体となったお方であることが、旧・新約両聖書に詳細に証しされています(創世記17:1、申命記7:9, 32:4、詩篇85:10、マタイ5: 48、Ⅰヨハネ4:16)。

 このような創造主を、人は心から敬愛し、崇め、畏怖し、信頼し、従順に従うことは当然の帰結だったのです(マタイ22:37)。しかしながら、実情は「地は、神の前に堕落し、暴虐で満ちていた」(創世記6:11)ために、主は洪水によって滅ぼそうと考えられたのです。創造主は聖なる方、正しい方で、悪を容認できないという御性質だけを取り上げて、堕落した人々を滅ぼされるのは当然であると単純に言いきる前に、少し考えたいと思います。
士師記やその他、聖書に書かれている人の堕落・悪事に対して主がどのように寛容で忍耐なさったか、聖書以外にも歴史上、又現在の人間の堕落を主がどんなに忍耐して下さっているか、わけても、悔い改めればどんな罪をも赦されるイエス様の十字架を思うと、ノアの洪水を真剣に受けとめる必要があるでしょう。

 慈悲に満ち溢れた創造主は、洪水の時にも忍耐の限りを尽くして人が悔い改めるのを待っておられたのです(Ⅰペテロ3:20)。
その上で地球上の生き物を全部滅ぼすことが最善の策(ローマ8:28)であると痛恨の決断をなさったとすると、この堕落の中身は極度に悪い、救い難いものであり、それが全地球規模に及んでいたものであったと考えざるを得ません。

 この堕落・腐敗の中身を窺い知るために、非常に難解な創世記6:1, 2 & 4を理解する努力をしたいと思います。「神の子ら」が美しい人の娘たちと自由奔放に結婚して出来た子ども、ヘブル語「ネフィリム」という言葉は日本語としては意味不明ですが、3つの英語訳は「巨人」と翻訳しています。NIVはphilimと訳し、「異常な力を持った巨人で、ヘブル語の意味は堕落した者」と脚注で説明しています。H・モリス博士は、動詞「ナーファル」(堕落する)の派生語であるので、「堕落した者」という理解が自然であると書かれています。

 では、堕落した者を生む原因となった「神の子ら」とは、誰でしょう?日本語訳・英語訳共に2節・4節のこの言葉の取り扱いは様々で、TEVでは8箇所(ヨブ1:6、詩篇29:1等)でのみ使われている「heavenly beings, 天の存在者」と翻訳されていて、救われた者を指す「神の子」(ヨハネ1:12)、受胎告知の「御使い」(ルカ1:26)、及び約300箇所で使われる「天使」(創世記19:1, 22:11, 28:12)とは区別されています。
NKJVでも10箇所(ヨブ1:6、ガラテヤ3:26等)でのみ使われている「sons of God、神の子ら」と翻訳されています。日本語訳は英語訳ほど特別ではなく訳により60~80箇所で同じ「神の子」と翻訳されています。

 これら翻訳された言葉としては、主に背いて堕落した天使というのが素直な理解でしょうし、使徒時代に用いられた主な聖書である七十人訳ギリシャ語聖書では、「神の御使い」と訳されています。
しかし、天使と人間が結合して子をなす事が生理学的に可能であるのかどうか、「半分は天使、半分は人間」とはどういう生物なのか、また主がそれを許可されたかどうかという疑問には答えられません。
この「神の子」と人の娘との結婚が赦し難い堕落・腐敗であると見なされたこと、またこの結合によって「堕落した者」が生まれたことから、普通の人と人との結婚とは見なし得ないと思われます。
本当の人間であったけれども、悪霊に取り憑かれ支配されていた男性が堕落した天使のような振る舞いをしたので「神の子ら」と書かれたと理解できないでしょうか。悪霊憑きの「神の子ら」は、美しい人の娘たちと互いに性的魅力の虜になったのかも知れません。

 いずれにしても、悪魔のような超自然的原因によって、異常で邪悪な恐ろしいものが突如として凄まじい勢いで地上に侵入し、蔓延したものでしょう。
「主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊」(エペソ6:12)は実在し、人の生活を破壊しようと様々な活動をしており、サタンは「空中の権威を持つ支配者」(エペソ2:2)であるのです。近年、霊的に恐怖をもたらす説明できないオカルト現象が、全世界的レベルで驚異的に増加してきているのは憂慮すべきことでしょう。

この節の「神の子」の解釈、特に神学的考察などについて興味のある方は、引用文献、「創世記の記録」ヘンリー・モリス著、宇佐神正海訳、をお読み下さい。