6-36.虹の契約
さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがた、およびあなたがたといっしょにいるすべての生き物との間に、わたしが代々永遠にわたって結ぶ契約のしるしは、これである。わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。」こうして神はノアに仰せられた。「これが、わたしと、地上のすべての肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」(創世記9:12-17)
契約という考えが旧約聖書に行き渡っていることを、前項で少し学びました。イエス・キリストによる新約(㈵コリント11:25, ルカ22:20)の布石となっている三つの契約の最初がノアに与えられた虹の契約で、再び水で世界を滅ぼさないという契約のしるしです。
虹が雲の中に出ることによって、主が契約を覚えておられることを人々に示すと言われました。
虹はこの契約のしるしであるので、大洪水前にはなかったと考えている人々が大勢います。
今日、雨の後で虹が見られるのは、空気中に浮いている水滴に太陽の光があたり、水滴がプリズムの働きをして光を屈折させるからです。
屈折率は光線の色によって異なるので七色に分かれて見えるのです。
現在でも、太陽の高度が四二度以上になる真昼には、屈折した光が地上に達しないので虹は見えません。
水滴で光の屈折が起こる可能性、また屈折が起きた場合でもその屈折率の光線相互の差は、水滴の密度と大気の密度の差によって変わります。
大洪水以前の大気圧はかなり高かった(今日の約2倍)と考えられており、そのために大気と水滴の密度の差は大きくなく、したがって虹として観察できるような光の屈折が生じなかったと考えられます(「新・科学の説明が聖書に近づいた」久保有政著)。
洪水前には気体の水蒸気はあっても、液体の水、雨や霧や雲がなかったので光線を屈折させて生じる虹が起こらなかったと考える人々もいます(「創世記の記録」ヘンリー・M・モリス著)。
雨が降らなかったと考えている人々は、「地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかった」(創2:5)の記述のうち、雨が降らなかったことだけを切り離して解釈していると思われます。
しかし、この記述は「植物がない」「雨が降らない」「土を耕す人がいない」という三つの出来事が一つになっているのであり、このすぐ後に「地から泉がわき上がって土の全面を潤して」、第三日に植物が創造され繁茂出来るようになったのです。
雨が降らなかったのは二日目までと考えるべきで、液体の水が地上に湧いてきた時点で、水は蒸発し気体の水蒸気だけではなく、液体の霧や雲を生じ、雨を降らせたと考える方が理に適っていると思われます。
新約の布石の第二の契約はアブラハムとの契約で、そのしるしは「割礼」(創17:11)でした。
全能の神、主が契約をどれだけ重んじられたかを知ることは意義のあることでしょう。
出エジプトの指導者としてモーセを召し出された主は、割礼をなおざりにしたままこの大任を遂行しようとしたモーセを殺そうとまでされました(出4:24-26)。
帰還の旅の最後、エリコ攻略直前に主は全員に割礼を施すように命じられ、ヨシュアは忠実に従いました(ヨシュア5:2-7)。
これは人間の常識では理解できません。割礼を施せば1週間近く痛みで動けないので、戦いなど出来るはずはありません。
主を信頼し、従い通すということがどんなに重要であるかは、昔も今も変わりありません。そして、この戦闘は主が戦ってくださったのでした。
新約の時代、割礼はどのような意味があるのでしょうか。律法主義・形式主義に陥ったパリサイ人や律法学者が形だけを重んじた結果、現代、特に異邦人クリスチャンに割礼の本来の意味が理解されなくなっている危険性があるようです。
「肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。文字によらず霊による心の割礼こそ割礼」(ローマ2:28, 29)、「無割礼の者が律法の規定を守るなら、その無割礼は割礼と見なされる」(ローマ2:26)のであり、「手によらない割礼、キリストの割礼を受けて」(コロサイ2:11)「新しく創造され、愛の実践を伴う信仰」(ガラテヤ6:15, 5:6)を持つことが真の割礼であると聖書は言っています。
そして、イエス様は「律法を完成するために来た」(マタイ5:17, 18)と言われ、パウロは「信仰のゆえに、律法は確立」(ローマ3:31)し、「愛は律法を完成する」(ローマ13:10)と言いました。私たちにとってもまた、割礼は非常に重要な意味があるのです。
契約の第三はモーセとの契約で、しるしは安息日(出31:16-17)でした。
こうして、主は虹のしるしによって、再び全世界を水で滅ぼさないと、契約を結ばれました。
次の滅亡、すなわち世界最後の滅亡は火によって行われます(㈼ペテロ3:5-7, 10-13)。虹は聖書にさらにもう三回書かれていますが、いずれも神の恵み、神の御座を取り巻く永遠の契約のしるしである虹として描写されています(エゼキエル1:28, 黙示録 4:3)。
そして力強い御使い、主イエス・キリストがいばらの冠の代わりに頭上に虹を戴いて降ってこられる様子が描かれています(黙示録 10:1)。虹で象徴される契約は、信じる者すべてに与えられた主の永遠の愛のしるし、祝福のお約束なのです。
「虹」は原語では(神の)弓(フランシスコ会訳・注)であり、英語訳は「the bow、弓」と訳している翻訳も多く(NASB, KJV, ESV, ASVなど)、また虹は英語では「rainbow、雨の弓」(NIV, NKJV)である。



