6-43.セントヘレンズ山の大噴火で与えられた証拠

第6章 ノアの洪水

6-43.セントヘレンズ山の大噴火で与えられた証拠

主が地に目を注がれると、地は震え、山々に触れられると、山々は煙を上げます(詩篇104:32)。

 米国ワシントン州のセント・ヘレンズ山は、尾根が階段状になっており、山の裾野にスピリット湖を控え、斜面に豊かな緑の森が生い茂る姿が北面から臨まれ、その美しいたたずまいはアメリカの富士山と絶賛されていました。
この火山は、非常に活動的で、過去4,000年間に14回も噴火していることが知られていました。

 1980年5月18日、再び大噴火し、この火山及び周辺の地理は一変しました。
この大噴火の2ヶ月ほど前から、様々な前兆があったので、噴火前後の状況について、詳細な観察が行われ、記録されました。
大噴火の2ヶ月前、3月の最後の週から5月18日までの間に、火山の北側斜面は137メートル、一日当たり2.5メートル膨張しました。
この膨張によって、その地域は険しくなり割れ目が出来、地震によって崩れ易い状況になりました。
大噴火前2ヶ月間に、比較的小さな噴火が27回あり(7回は爆発、19回は溶岩ドーム形成)、地震が実に12,000回(その内、マグニチュード0.7以上のもの7,000回、体感地震が日に116回)ありました。

 そして遂に、5月18日、日曜日、午前8時31分、最初に氷が融けて下にしみこみ、火口が下に落ち、何千万リットルもの水が熱せられて蒸気になり、急激に膨大したこの蒸気(気体)は出口を失い、ジッパーを開いた如く裂けて、土砂を巻き込んだ激しい蒸気爆発が起こりました。
爆発は10メガトンと推定され、噴火の総エネルギー量はトリニトロトルエン(TNT)4億3,000万トンに相当する莫大なエネルギーを放出しました。
これは、広島型原子爆弾約33,000発に相当し、1秒間に原子爆弾1つの速度で連続的に9時間以上にも及ぶ長時間、原爆が炸裂し続けたことになります。

 噴火前、標高2,950 メートルであった山の上部、約400 メートルが吹き飛んでしまい、噴火後2,459メートルになってしまいました。噴火後僅か6分間に、半径11 km四方の針葉樹林が爆風によって根こそぎ引きちぎられて、灰、泥、なぎ倒された木々や丸太がスピリット湖に投げ出され、トゥトル川峡谷を押し流されていきました。
噴火翌日には、火山灰が降り積もって月面のような様相を呈しているのが観察され、地上温度は300℃で、特殊な靴を履かないと歩けない状態であったと報告されています。
どんな生物も生息不可能な、まさに死の世界が突如として広範囲に出現したのでした。

 火砕流となって流れ込んだ噴出物や泥と丸太がスピリット湖を覆い、出口を塞いでしまいました。
丸太は泥の中で押し合いへし合いして、水平に漂い、また垂直に湖面や湖底に突っ立っていました。
出口を失ったスピリット湖は、約2年後1982年3月19日に決壊し、土石流となって激しく流れ出し、出口を求めて堆積層や湖底を削り取って、1日で峡谷が形成されました。
写真(2003年6月撮影)は、筆者がセント・ヘレンズ山を訪れた時のものですが、雨の後で最初は雲にすっぽりと覆われて全く見えなかったのですが、辛抱強く待つうちに雪に覆われた山頂が見えました。
山の上部が噴火で吹き飛んでしまい、馬蹄状になっているのがこの写真でも見えています。
噴火23年後、山の周辺には見事に緑が戻ってきており、爆風により吹き飛ばされて横たわっている大木、根元近くで引きちぎられた木などが、写真に判るように其処ここに見受けられました。


 1980年のセント・へレンズ山の噴火は、その噴火の激しさのためだけでなく、進化論の根底を揺さぶる多くの証拠を提出し世界に衝撃を与えました。
地層形成、峡谷侵食、泥炭蓄積、湖底に堆積し・又縦に突っ立った丸太、そして植物の早期の再生、それに伴った動物の帰還などが観察されました。
地球全体を覆ったノアの洪水が地球に及ぼしたであろう破壊の大きさとその実態、そして、その後の地球の再生について、進化を信じる人々も改めて考え直さざるを得なくなったのです。
この項では、噴火の概略を紹介しました。次回以降、少し詳細に紹介して、ノアの洪水との関連について学びたいと思います。