4-1.ウマの話:ヒラックス(岩だぬき)の仲間はウマの祖先か?

第4章 馬の話

4-1.ウマの話:ヒラックス(岩だぬき)の仲間はウマの祖先か?

この地上には小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知恵者だ。蟻は力のない種族だが、夏のうちに食糧を確保する。
岩だぬきは強くない種族だが、その巣を岩間に設ける。(箴言30:24-26)

 ウマは野生のウマもいますが、多くは家畜馬として多方面に亘って人間の生活に関わってきています。移動や輸送の助け手になり、また破傷風の抗毒素の生産に使われ、その毛、皮、骨なども様々に利用され、さらに乗馬を楽しむ人々や走る姿に楽しみを見出す人々の友としても、人間とは親しい関係にあります。ところが、一方で、十九世紀後半以降、ウマの系統図が進化の「重要な証拠」として、大きな役割を負わされてしまいました。


オーストラリアを除く全大陸で収集されたおびただしい化石が、多くの研究者により方々で検討され、組み合わされたりした後に、ダーウィンの友人トマス・ハクスリーによって系統図が提案されて、ウマの進化の物語が作り上げられました。それ以後、多少の差違はあるものの本質的には類似の見事な「系統図」が、進化の証拠として教科書に示されています。

ここに示した図はそれを模写したものですが、進化の四段階とされるものを、同じ縮尺で描いた姿・形と蹄の様子です。体のサイズが左から右へと順次大きくなっています。一番左の小さな動物が、約五千万年前のウマの祖先とされたヒラコテリウムで、蹄は4本、次いで約三千万年前のメソヒップスで、蹄は3本、次に約二千万年前のメリキップス、そして最後が現在のウマ、エクウスで蹄は1本です。メリキップスの次にプリオヒップス(前肢・後肢共に蹄は1本)が描かれていることもあります。実に明解で漸進的な進化の過程の証拠のようにも見え、実際そのように人々は信じてきました。そして今なお、そのように中高生に教えられています。

ウマの祖先とされたヒラコテリウムは、1841年、優秀な古生物学者リチャード・オーウェン(恐竜という単語を作った人)によって発見されました。彼はこの動物とウマとの間に何の関係も見出さず、むしろヒラックス(岩だぬき)に似ているので、ヒラコテリウムという名前を付けました。この動物は馬科の特徴は備えておらず、身体の大きさは体高25~50センチと幅があり、背中は弓状にかなり曲がり、尾は長くて太く(ウマの尾は先端に毛の束が付いているだけで、尾は長くはない)、身体の後部が高く、ほとんどウサギのような外観をしていると判断されました。ところが、後に進化論的発想をする古生物学者によって、この動物はエオヒップス(黎明馬、ウマの始祖の意味)と呼ばれるようにもなりました。

ちなみに、ヒラックスという名前は大抵の辞書に出ていて、「アフリカ・アラビア・シリア地方に住むウサギほどの大きさで、蹄を持つ臆病な哺乳類」「齧歯類様の動物で植物を食べ、岩場や木の中に棲む」などと書かれています。聖書・箴言に、「強くないが賢い」と書かれた岩だぬき(hyrax)であり、レビ記などにも記載されています。

進化論者のジェラルド・カーカットは、「ヒラコテリウムがウマの祖先かどうかは明らかではない」と言い、進化論者であるジョージ・シンプソンは「ヒラコテリウムは直接の祖先を持たず、同時期・始新世にヨーロッパと北アメリカで突如として出現したのは、生命の歴史における劇的、且つ神秘的な逸話」と述べています。生物学者、ヘリバート・ニルソンは、「ウマの系統樹は、教科書の中でのみ、すっきりとした一定方向の進化を見せている」と言っています。

その他、ウマの化石記録に関して大きな間隙があり、様々な見解があり、複雑に入り組んでいます。ヒラコテリウムをはじめとして、これらの古代馬は決して同じ地層から出土したものではなく、地理的に遠く離れて発掘された化石同士を、「この種からこの種へと進化した」という、暗黙の了解の下に並べたに過ぎないということです。
次回以降に、この「進化系統図」の流れ、蹄、歯、腓骨のことなどについて、話を進めたいと思います。


参考文献:「創造」Vol.3, No.4(1999);「馬と進化」(G.G.シンプソン/どうぶつ社);チャート式「新生物ⅠB・Ⅱ」(小林 弘著/数研出版)(2002);「創造論の世界」(久保有政著/徳間書店)