創造主に出会って ~第十章~

創造主に出会って ~第十章~

病を得て・・・

 教会の方では、奥山先生がインドネシア宣教の召命を受け、その準備のために教会を辞され、アメリカ留学を終えられた新しい牧師家族が牧師として就任されました。

 それと共に、信仰生活も倦怠期というか、面白くなくなってきました。心の願いは、主に近づきたいと思っていたのですが、色々な不平不満で心が満たされるようになりました。

 内科病棟勤務が一年を過ぎた頃、産婦人科病棟に移動になりました。二人のアメリカ人女性医師が非常に仕事に完璧を求める方々で、そのため看護婦が続かないので、いつも人手不足でした。

 そんな中で、医療の質の高さで有名になり、日本全国から難しいケースが紹介されて来ていました。

 私も、先生方の要求には到底ついて行けなかったのですが、彼らの献身的な姿に尊敬を抱いて一生懸命についていこうとしていました。それで、いつも疲れておりました。そんな折、二年目の健康診断でひっかかり、検査入院となり、腎生検による組織検査をしたところ、慢性腎炎の悪化と診断されました。

 当時、慢性腎炎の悪化は、死に繋がるものでした。安静、食事療法が始まりました。一日塩分2g制限の食事でした。

 その間、私は死への恐れに支配されていました。まだ、末期ではないものの、やがては・・という思いに捕らわれていました。

 信仰がどこかへふっ飛んで行ったようです。自分が救われているかどうかさえ分からなくなってしまい、新しい牧師にその事を告げると、「貴女がイエス様を信じている限り、救われているから大丈夫。天国へ行けます。」と言われるのです。でも、本当に自分がイエス様を信じているのかどうかさえ分からず、夜も眠れない状態でした。しかし、S先生は、度々私を見舞ってくださっていたのです。

 ある時「又、眠っている」という声に振り向くと、S先生は、「いつもよく眠っているから、起こさないようにしていたよ。」と言われるのです。

 それでも、不安で不安で、ただ、「主よ、助けてください。」と叫び続けておりました。

 すると、ある時、ぱっと光が差し込んだのを見たのです。瞬間的に、「イエス様だ!イエス様は生きておられる。私も、復活するのだ!」という思いで満たされました。

 それから、私は、自分の信仰確認を始めました。神がおられる事は否定出来ない。でも、私の罪の代わりにイエス様が死んでくださった事を本当に信じているのか?私の罪とは?

 第一の罪は、神を認めない事。これは、悔い改めました。しかし、「キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」とあります。

 私は、自分のためにだけに生きて、イエス様のために生きる事をしてこなかった。
実に、自己中心。「己が腹を神とし」の生き方だった事に気づきました。この罪のために主は、十字架にかかってくださったのです。

 私は、祈り始めました。「私の自己中心の罪をお赦しください。私が死んでも永遠のいのちがある事を信じます。でも、もし、私を癒してくださるなら、私の一生をあなたにお捧げします。」と・・・すると不思議な平安に満たされました。

【続きます】

濱本 章子 副牧師