5-5.夕と朝によって刻まれた一日

第5章 6日間(144時間)の天地創造

5-5.夕と朝によって刻まれた一日

神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日(創世記1:5)

 創造主はこの光と闇に、それぞれ名前を与えられました。そして、夕方となり朝になる、すなわち地球が一回自転する時間を、「一日」と設定されました。地球上のどの地点においても、昼と夜が規則正しく巡ってくるようになりました。このようにして創造主は第一日に、無から宇宙空間を拡げ、物質を創造し、自転する地球を造り、時間の単位を設定され、二日目以降の創造の基盤を造って、第一日目を終了なさいました。

この後、二日目以降創造の最終日である第六日目まで、「こうして夕があり、朝があった」という、全く同じ形式の記述が繰り返されて、一日ごとの終わりが告げられています。この表現には重要な意味が込められていると思われます。創造主は昼と名付けられた光のある時に働かれ、夜は休まれ、六日間の創造を秩序正しく遂行されたのです。

地上を照らす光は、第四日目に創造される太陽に引き継がれるのですが、この太陽光線には生命にとって有害な光線も含まれています。可視光線(見ることができる光)は電磁波の一部ですが、この可視光線より波長の長い光には赤外線や電波があり、一方波長の短い光には紫外線、エックス線およびガンマ線などがあります。波長の長い光は熱を、短い光は高エネルギーの放射線を放出し、これらは細胞、すなわち生命体に有害な作用を及ぼします。進化論者は、地球が出来たときに、このような有害電磁波が地上に届いていたと仮定して、地球の歴史を推測します。しかし、第一日目に整えられた磁場によって、波長の長い有害光線は地上に届かないように設定されたのです。波長の短い有害光線については、別の機構が備えられていますが、それについては第二日の創造について学ぶときに述べたいと思います。

創造の一週間について、様々な解釈がされていますが、まず「間隙説」について簡単に触れておきたいと思います。間隙説とは、創世記一章一節の創造は何十億年も前に起こったこととし、一節と二節との間に数十億年という膨大な時間が経過したと考えるのです。つまり、すべての地質時代(ご存じの古生代、中生代、新生代などと区分されている数十億年にわたる時代区分)を、この一節と二節の間に挿入しようという考えです。この何十億年間に地質時代の激変が起こり、創造主の裁き
によって「地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり」(二節)、という地球の状態になったと解釈します。そして、創世記一章三節から三十一節に述べられている創造は、文字通りの六日間に改めて「再創造された」、という解釈なのです。

しかし、地質時代の体系は、本質的に進化の体系と同じであって、生物進化の重要な証拠とされている化石によって地質年代が決定されているのです。つまり、地質時代を承認するということは、生物進化を承認するということと、結果的に全く同じことになってしまうのです。そして又、地質時代の体系は、以前に説明した斉一説(自然の過程は、過去においても現在起こっているのと本質的に同一であり、全世界を揺るがす大変化は起こらなかった)という仮説に基づいています。間隙説で説明されている激変と斉一説は相容れませんし,又その後に起こった地球全体に及ぶ大洪水も、この斉一説を根こそぎ否定してしまいます。つまり、地質時代の体系の理論的土台が覆ってしまうのです。さらに、地質時代の証拠とされているすべてのものを、この大洪水は完全にくつがえしてしまったはずです。

そして聖書には、サタンによって人類に罪が入ったために、初めて世界に苦しみや死が来たと明確に書かれています(ローマ書5:12、Ⅰコリント15:21)。それ以前には、死や苦しみは無かったのですから、二節以前・アダムの創造以前に、地質時代の証拠、すなわち苦しみと死の証拠である化石が生じるはずはなかったのです。完全なものとして造られた人類が罪にまみれたために、「当時の世界は、洪水におおわれて滅びたのです」(Ⅱペテロ3:6)

間隙説は科学的にも、又聖書の記述自身とも矛盾しており、成立しないことは明らかです。創造に関する時間については、創世記に書かれている一日は自然の日ではなくて、実は時代であると解釈する「日=時代」説がありますが、これについては次回触れたいと思います。


「創世記の記録」ヘンリー・モリス著、創造科学研究会(1992)、「創造」vol 3, No.2 (1999)