5-3.神の霊によって

第5章 6日間(144時間)の天地創造

5-3.神の霊によって

地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。(創世記1:2)。

 天地万物の唯一の創造主は、三つの位格(父・子・御霊)を有しておられ、この三位は同一の創造主で、分離不可能な存在です。ですから、第二格であるイエス・キリストは、創造の初めからそこにおられました。「深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、・・・神が天を堅く立て、深淵の面に円を描かれたとき、わたし(イエス・キリスト)はそこにいた。」と箴言(8:24, 27)に書かれてあり、コロサイ書1:16にも「天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、・・・すべて御子によって造られた」と書かれています。

初めに、時を刻む法則が設定され、宇宙空間及び物質を形成するための質量が創造されたとき、地は形がなく、何もなく、まさに空っぽの状態でした。「天を創造し・・・、地を形造り、これを仕上げ・・・人の住みか」(イザヤ書45:18)として完成品に仕上げる目的を持って、創造主はまず、そのための材料を、無から生み出されたのです。そして、時間の法則と同様に、「天と地との諸法則を定め」られました(エレミヤ書33:25)。  全宇宙が、すなわち宇宙及び地球、そして地球上に置かれた植物と動物、そして人間、これらすべてが完全な平和・調和の中で存在することが出来るように、全知全能の創造主の叡智によって物理法則、物理化学法則、化学法則、生物学的法則など、自然界のすべての法則が定められたのです。

創造の初めには、地には何もなく、ただ水が満ち満ちており、その上を「闇」が覆っていました。「地は神のことばによって水から出て、水によって成った」(Ⅱペテロ3:5)のです。創造主の計画に沿って、水から出来ているこの地を人の住める環境として整えるために、第三格の聖霊が水の上で働いておられました。イザヤ書45:18で、「人の住みかに形造られた」と特に述べて、進化論者が主張するような偶然の産物ではないことを明確にしてあります。

現在の地球には山があり、平地があり、谷があり、海があり、深い海溝もありますが、全体として地球表面の70%は水で覆われています。そして、もし表面のでこぼこをなくして完全に平らにすると、地球全体が深い水の底に、実に2,700メートルの海底に沈んでしまうと計算されています。(創造の当初、地球は水に覆われてはいましたが、その水とは、水蒸気《目に見えない気体です。沸騰しているお湯から立ち上る湯気は液体の水であり、水蒸気ではありません》も含めた化学式H2Oで表される化合物としての水で、地球の様相は現在と全く異なっており、水の底に沈むように造られたのではありません。)現在、地球上では渇水に苦しむ地域はありますが、全体としては水が豊かに備えられている地球を住まいとする生物(陸上に生きる動物や、人間も含めてすべて)の生命反応も、水によって支えられているのです。生命体を構成している物質は、究極的には水に溶け込んだ状態で存在しており、生命反応は水の中で行われているのだということについて、ここで注意を喚起しておきたいと思います。体液成分について前にお話しした時多少触れていますが、生物の体内は言うなら「水浸し」の状態です。人間の体を構成する水の割合は、体重の60~75%にも及ぶと、何度も聞いたことがあるでしょう。「ああ、そうか」と頷きはするものの、その意味することが何であるかを考える人は、意外と少ないのです。植物の創造、動物の創造、人間の創造のお話をする機会に、生物における水の意義について少し詳しくお話ししたいと思います。


「創世記の記録」ヘンリー・モリス著、創造科学研究会(1992)、「創造」vol 3, No.1 & No. 2 (1999); vol. 2, No. 4 (1998)