5-6.創造の一日は24時間

第5章 6日間(144時間)の天地創造

5-6.創造の一日は24時間

神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日(創世記1:5)

 天地万物の創造を偏見を持たずに正しく理解するために、聖書に書かれている創造の六日間が自然の日々であるのか、又は長期の時代を意味する象徴的表現であるのかを決定しなければなりません。
創世記一章に記載されている一日の長さが自然の一日ではなく、一日は千年であるとか地質時代の一時代であるとかという、「日=時代説」が考え出された経緯は様々だったことでしょう。いずれにしても、考えの基盤には進化論が深く強固に根を張っており、その根底から派生する地質年代を取り入れて、聖書を解釈してしまったのです。

しかしながら、間隙説と同様に、この日=時代説は成立しません。まず第一に、間隙説を検討した際に指摘したように、地質時代は化石の記録によって決定されます。化石は苦しみと死の記録であり、日=時代説では罪が入る前に死が存在していたことになります。罪が入る前には苦しみも死もいっさい無かったはずですから(ローマ書5:12、Ⅰコリント15:21)、この説は自己撞着を来たし、自ら破綻してしまいます。つまり、第五日に海の生き物、鳥などが創造されましたが、この一日が自然の一日ではなく、長い年月、例えば地質年代だったとすると、その間に数え切れない苦しみと死があったことになります。第六日には家畜を始め多くの動物が創造され、そして人も創造主の息を受けていのちを与えられました。そしてこれも又、長い年月であったとすると、動物だけでなく人の苦しみと死もあったことになります。これらがすべて、化石記録として残り、地質年代として設定されているのです。

ところが、第五日の終わりに「神は見て、それをよしとされ」(21節)、第六日に動物を創造された後に、「神は見て、それをよしとされ」(25節)、その後、ご自身のみ姿に似せて人を創造され、最後に創造なさったすべての作品をご覧になって、「見よ。それは非常によかった」(31節)と総括なさいました。そして、「神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた」(2章3節)と書かれています。全知全能であり正義であり愛である創造主が、このように多くの苦しみと死を経由したのを見て、「非常によかった」と言って、創造のみ業の終わりを祝福し、聖であると宣言なさることなどあり得ません。
第二に、一章に書かれている創造の順序は、地質時代を表すとされている化石が地層中に発見される順序と、著しく異なっていることは一目瞭然です。

第三に、聖書の記録自体が、創造の日は文字通りの日々であって不特定の時代ではないことを明確にしています。「こうして夕があり、朝があった。第一日」。この同じ形式が、各々の日の終わりに繰り返して書かれています。地球の自転が開始されており、夕があり朝があるという時間の経過は、まさに自然の一日以外にはあり得ません。そして聖書は、「それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」(出エジプト記20:11)と述べて、安息日で終わる一週間という時間を設定しており、創世記一章の一日が自然の一日であることを明らかにしているのです。

第四に、動植物のライフサイクルの問題です。植物は第三日に創造されましたが、受粉を助ける鳥や昆虫は、第五日および第六日に創造されました。もし、創造の一日が一時代だったなら、何が起こったでしょうか?第三日に創造された植物は、一年か二年の内に文字通り全滅したことでしょう。何千年も何万年も後に、鳥や昆虫の創造されるまで存続することは不可能だったでしょう。また、地球上に植物がないと、動物も生存することは出来ません。たとえ、第五日に鳥が創造され、第六日に昆虫やその他の動物が創造されても、すでに植物が絶滅してしまっている地上で、これらが生命を支え続けることは出来なかったのです。聖書に書かれている一日が自然の一日であることによって、被造物すべてが美しく存続することができたのです。


「創世記の記録」ヘンリー・モリス著、創造科学研究会(1992)、「創造」vol 3, No.3 & 4 (1999)