6-7.慰めを与えるノア

第6章 ノアの洪水

6-7.慰めを与えるノア

レメクは百八十二歳になって、男の子を生み、「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」と言って、その名をノアと名づけた。主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。人も獣も、這うものも、空の鳥までも。わたしは、これらを造ったことを悔いる」と言われた。しかし、ノアは主の前に恵みを得た(創世記5:28, 29, 6:5-8、口語訳)

 アダムとエバは小さな制限さえ守らず人類全体に災いを及ぼした大悪人、カインは最初の殺人をした悪人の代表、ノアは主に従った信仰の人、アブラハムは信仰の父、ダビデは信仰深く、偉大な王様などと、ある一面だけを強調してラベルを貼ってしまう悪い癖が人間にはあります。そのような考えの延長線上において、大洪水の裁きに至る人類史を見ている人々がいます。例えば、救いがたい諸々の悪を地上に撒き散らし、増大させた責任はすべてカイン及びカインの子孫にあると考えるのです。
しかし、これは様々な観点からあり得ない考えです。カインは確かに人類初の殺人、しかも自分勝手な嫉妬のあまりに弟を殺すという大罪を犯しました。しかしながら、カインの子孫が全部そのような悪人であったと考える根拠にはなりません。聖書に書かれている後の人類史を見ても、信仰の人から最悪の子どもが生まれたり、逆に極悪人の親から信仰深い子どもが生まれたりしています(列王記、歴代誌参照)。実はカインは、その後で、「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。」と主に言っているのです(創世記4:13)、ちょうどダビデが大罪を犯した後で悔い改めたように。

 一方、カイン以外のアダムの子どもたち、後継者セツやその他の子どもたちの子孫がカインほどの悪人を輩出しなかったのではないのです。事実、洪水の裁きが起こったときには、「生めよ、増えよ」の祝福を受けて、地上には大勢の人々が満ちていたのですが、その人々は、八人を除いて全員洪水で滅ぼされなければならない大悪人であったのです。アダムからノアまでの、系図が判明している後継者たちでさえ、相互にどのような血縁関係が築かれていたかは全く判りません。
後継者を順に並べると、アダムセツエノシュケナンマハラルエルエレデエノクメトシェラレメクノアとなりますが、それぞれの妻が誰であったかが分かっているのは、唯一アダムだけなのです。後は、二代目セツに始まり、神の人エノクの妻も、メトシェラの妻も、レメクの妻、つまりノアの母についても何も書かれていません。つまり、妻たちの出自は一切不明ですから、カインの血縁から出てきた女性がアダムの直系の家系に入ってきた可能性は充分あるわけです。

 ノアの洪水の記事、第一項「アダムの子孫」において、アダム及びアダムの子孫たちのことを考えました。九百三十年の人生をアダムがどのように生きたか分かりませんが、宇宙・地球そして人類に災いをもたらした愚か者・悪人であるとだけラベルを貼るのはいかがなものでしょうか?背きの本性は、そっくりそのまま、実は無惨に増幅されて私たち人類全員に受け継がれてきています(ローマ3:23, 5:12)。
アダムとエバが罪を犯した後、狂乱の人生を送ったなどとは書かれていませんし、実は、アダムとエバは、神の人エノクからノアへと信仰を継承した子孫たちを育て上げたのです。私たちには想像することさえ出来ない創造主の栄光に直接接し、まさしく主を知っていたアダムとエバは、どれほど主を畏敬し、信頼していたことでしょう。主ご自身の手で造られ、主と顔と顔を会わせて交わったまぶしいほどの初代として、大勢の子どもたちや子孫たちから絶大な信頼と尊敬を受けていたことでしょう。

 ノアの祖父のメトシェラがまだ若かった時代に、幼い息子、レメクと共に、ひぃ、ひぃ、ひぃお祖父さんであるアダムと膝を交えて座っている場面、造ってくださった神様がどのような方であり、何をどんな風にお話しになったかなどの話を、顔を輝かせて聞いている場面などを想像するだけでもワクワクしませんか?
そして、はるか後に、つまり600年以上も後になってから、この人たち二人が、少なくともどちらかがノアと一緒に、大洪水預言を受けたのでしょう。三人ともその預言を真面目に受けとめて、箱船建造命令に従ったと思われます((52)「人の寿命は百二十年に定められたのか?」を参照)。メトシェラの信仰について特に記載はありませんが、レメクは世の乱れを嘆き、慰めを期待して子どもをノアと名付けたことで、信仰が伺われます。

 実際に洪水が来た時には、メトシェラとレメクは死んでしまっており、箱船の中に入ったのはノアと三人の息子たちとそれぞれの配偶者だけでした。
つまり、ある人々に思われているようにカインの子孫だけが悪人ではなく、直系の後継者セツの子孫やアダムの他の子どもたちの子孫も、この八人を除いて全て悪人として裁きを受け、洪水によって死んでしまったのです。主が用意してくださった救いの手を拒絶した信仰のない者たちだったのです。
ノアの父母の兄弟たち、つまりノアの叔父・叔母たち、兄弟姉妹たち、ノアの他の子どもたち、孫たち、ひ孫たち・・・大勢の身近な人々が誰一人として箱船による救いを受け取らなかったのです(Ⅱペテロ2:5)。この事実は、今の日本の深刻な状況に酷似しています。再臨の日が近い、最期の裁きの日がそんなに遠くないことを悟っているクリスチャンたちは、イエス・キリストが下さった救いの箱船に入るようにと福音を伝えています。
救いの箱船に入りましょうと愛する人々に説いても、そんな馬鹿なことがあるものかと嘲笑の的になっている現実は、まさにかつてノアたちが経験したことなのでしょう (Ⅰペテロ3:20)。

 クリスチャンたちは、日本中に満ち溢れている異教の神々をよもや礼拝はしないでしょうが、例えば、富や名誉等を主よりも大切にして、それが偶像崇拝であると認識しないで主より上に置いてはいないでしょうか。最初に挙げたアブラハムは信仰の父、ノアは正しい人として偶像になってはいないでしょうか?

 「心に思いはかることが、いつも悪い事ばかり」の不信仰者の中で、「ノアは主の前に恵みを得」ました。御霊によって、地上に「慰め」をもたらす者と名付けられたノアは、他の人と同様に「的外れ」だったのですが、主の恵みを得ました。万人に等しく注がれている恵みをノアはしっかりと受け取ったので、主を恐れ、愛し、約束を信じて命令を守ることが出来る御心にかなう者とされたのでした。
恵みを受けたので、「信仰による義を相続する者となり」(ヘブル11:7)、「正しい人」として生きたのです。狂乱の時代の中で「全き人で・・神とともに歩んだ」のでした(創世記6:9)。「ノアは、すべて神が命じられたとおりにし」たと、四回も書かれています(創世記6:22, 7:5, 7:9, 7:16)。

 聖書には汲み尽くせない豊かな主の恵みが数多く記載されています(新改訳では369箇所)。エジプトから逃れたイスラエルの民は荒野で(エレミヤ31:2)、またダビデ(Ⅱサムエル22:51)も、ダニエル(ダニエル9:4)も恵みに浴し、そして、マリヤは、恵みによってイエス様の母とさせて戴きました。ダビデは「主よ。まことにあなたはいつくしみ深く、赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に、恵み豊かであられます」(詩篇86:5)と祈っています。