5-24.我々に似るように

第5章 6日間(144時間)の天地創造

5-24.我々に似るように

そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。(創世記1:26,27)

 非常に感動的な、そして難解な創造主の発言が26節に書かれています。ここに至るまでの創造は、「・・・となれ」「・・・があるように」と主が仰せられ、するとすぐに「そのようになった」という表現で示されている過程です。
このすぐ前に書かれている家畜や野の獣の場合には、「地は、・・・を生ぜよ」と命じていらっしゃいます。

ところがこの26節の場合には、このような命令ではなく、あたかも独り言のように、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。・・・支配させよう」と話しておられます。
この点を少し強調して英語聖書(NKJV)を翻訳すると「・・・私たちは一緒に人を造りましょう(注1参照)」という表現になります。主はご自身の御姿にかたどって人を造ろうとしておられ、唯一のお方であり、三位一体の創造主であられる神の一位格が、他の位格に話しかけておられたのでしょう。
神の三つの位格、すなわち父なる神、子なる神、聖霊なる神がお互いに話し合いをしておられる例は、旧約聖書に数多く記録されています(詩篇2:7、45:7、110:1、イザヤ書48:16)。新約聖書においても、イエス様が人としてお生まれになる前に持たれた、第一位格の父なる神とキリストとの間の愛と信頼の交わりについて、イエス様ご自身が語っておられます(マタイ11:27、ヨハネ8:42、ヨハネ17:24)。

 地球を人の住むところとして創造されたと(イザヤ45:18, 42:5)繰り返して書いてきましたが、人の創造に当たってご自身を「われわれ」とおっしゃっていることについて、戸惑いを感じられなかったでしょうか。全然不思議とも思わなかった人々は、既に充分に三位一体の創造主について理解している人々、あるいは少なくともそういうものだと何度も教えられ続けて受け容れている人々でしょう。
私自身は信仰を持つ前後、この「われわれ」に大きな疑問を持ち、そして、「三位一体の神」に関する分厚い書物を読みました。そして、ますます判らなくなった思い出があります。
この小論で三位一体の神学について論ずるつもりはありませんが、主の御前に召されたとき、すべてを知ることが出来るのだとパウロは言っていますから、それに希望を託しましょう。
「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」(Ⅰコリント13:12)(注2参照)。

 時間に関する法則、空間に関する法則までも含め、物理学的、化学的、生物学的すべての法則が定められる以前に、創造の全企画は既に決定されていました。そして、その決定に従って「御言葉」が発せられ、すぐにそのようになったのでした。「キリストは、世の始まる前から知られ」(Ⅰペテロ1:20)、「見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方」(コロサイ1:15)であり、私たちは「御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められた」(ローマ8:29)という、驚異的な感動の事実が、創造の出来事を記載する際に淡々と、しかし核心を突いた表現で書かれているのです。
世が始まる前、企画の段階で創造主はすべてを見通しておられ、人の罪を贖うための十字架にかかる目的をもって、小羊イエス様が世に降って来られることが決定されていたことを(黙示録17:8、Ⅱテモテ1:9、Ⅰペテロ1:20、ヨハネ1:14)、罪人である私たちが真に理解するのは難しいことです。


参考文献:「創造」vol. 5, No.2/3 (2001);「創世記の記録」ヘンリー・モリス著、創造科学研究会;「イエス時代の日常生活」M・F・ヴァモシュ著、ハーベスト・タイム・ミニストリーズ;挿絵:神谷直子、

注1、創世記1:26 (NKJV) "Let Us make man in Our image, according to Our likeness;

注2:私たちが知っている鏡は細部まで詳細に映しますから、「ぼんやり映る」と言われても納得できないでしょう。しかし当時の鏡は銅製であったので、どんなに磨いてもぼんやりしか映らなかったでしょう。旧約聖書にも鏡が青銅製(出エジプト38:8)、金属製(ヨブ記37:18)であったことが記録されています。