5-23.人の住まいとするために

第5章 6日間(144時間)の天地創造

5-23.人の住まいとするために

ついで神は、「地は、その種類にしたがって、生き物、家畜や、はうもの、その種類にしたがって野の獣を生ぜよ。」と仰せられた。するとそのようになった。神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神は見て、それをよしとされた。(創世記1:24-25)

 こうして人間以外のすべての動物が創造され、互いに争うことなく平和な地球が整えられたことを、前項「完璧な世界」でお話ししました。この平和とは、共生関係なども含め、互いに支え合う完全な調和を意味しています。そして、互いの共生関係が適切な順序で長い間隔をあけずに開始されなければ、植物をも含めて生物学的生命は維持し得ません。

 第三日に植物が創造されました。植物はこの地球上で無機物を有機物に変換することが出来る唯一の生物であり、植物が存在しないと動物の生命は維持できないこと(「エネルギーの形」)、また、植物も動物の存在によって支えられていること(「動物と植物の共生」)は非常に重要なことです。

 第五日に空の鳥、海の動物が創造され、六日目には陸生動物が創造されました。こうして、昆虫や、鳥、そして陸の動物が、花の花粉を他の花のめしべに運んだり、植物の種子などを様々な手段で運んだりして、植物の存続のために必要な役割を果たしました。そして、この連結された共生関係で生命が維持される地球環境は、短期間で完成されなければなりませんでした。

 創造の一日は現在の時間を計る単位の24時間でなければならないことについて、「夕と朝によって刻まれた一日」及び「創造の一日は24時間」において全体的な考察をしました。一日が「一日一時代」説で主張される地質年代の一時代というほど長くなくても、例えば二倍の48時間とか、三倍の72時間であったらどうでしょうか?地球そして全宇宙の創造にあたって、物理法則、化学法則など自然界のすべての法則が定められ、その諸法則と調和するように設定された生物学的法則のもとに、植物を含めて全生物が創造されたのです。このように相互に支え合うように創造された植物や動物は、完璧な有機的調和と統率の中で生命が維持されるのです。したがって、このような自然界の法則の一部分を破壊すること、例えば、時間のリズムを崩すことは、生物の体内に埋め込まれた時計が狂ってしまうことを意味します。そして、たったこれだけの変化で多くの生物は絶滅したでしょう。体内時計については、別の機会にもう少し学びたいと思います。

 現在、多くの生物種が絶滅し、または絶滅の危機に瀕していますが、それは生物の生息場所として、今の地球が必ずしも良い環境でなくなったためです。しかしながら、進化論者が主張するようなビッグ・バン起源説(火の玉が冷え固まったという説)や、それほどひどいものでなくても岩や土砂のような無機物だけが存在し、生命を受け入れることが出来ない無酸素の大気と、それを縫って紫外線・放射線・有害光線などの降り注ぐひどい環境の原始地球においてさえ生命が生まれたと仮にするならば、やはりそれとは比較にならないほど優れた今の環境下においては、無機物から生命体が次々に発生し、新しい生物種が出現する筈ではないでしょうか。しかし、もちろん、新しい生命体が全く新規に生まれた実例もなければ、ある種の動物から異なる動物へ進化した実例も全くありません。

 科学者たちは、進化論は単なる仮説に過ぎず、証拠は全く無いことを知っていますが、悲しむべきことに多くの聖書学者やクリスチャンたちが進化論を事実だと信じてしまいました。その結果、創造の1日を24時間とするのは非科学的だとし、聖書を進化論に無理に合わせようと、様々な珍説を作り出してきました。そして、創世記の創造の記事は歴史的事実ではなく神話だと、多くの人々が誤って信じ込むようになってしまったのです。これに誘導されて派生したのは、聖書の記述について「どれが歴史的事実・正しい記述であり、どれが神話・比喩であるか」を、人間が判断し、決定しても良いという考えです。教派・教団毎に、小さな諸教会毎に、あるいは各個人が、聖書のみ言葉を自分の好き勝手に切り刻んで解釈するようになり、あるいは「聖書にこう書いてあるけれど、実際は違うのだ」という冒涜的発言・心の動きが横行するようになりました。しかし、人が自分の考えで勝手に聖書を解釈することを、聖書が禁じているのです。「それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。」(Ⅱペテロ1:20)

 こうして創造主は、人の住む環境整備をすべて完了なさった後に、「よし」とおっしゃいました。創造主の「よし」は、絶対基準に立ったものであり、動物の弱肉強食など、いかなる欠けもいっさい無い、平和な地球であったことを意味しておられるのです。


参考文献:「創造」vol. 5, No.1 (2001);「創世記の記録」ヘンリー・モリス著、創造科学研究会