創造主に出会って ~第十六章~

創造主に出会って ~第十六章~

聖一の神探求

 神の愛に触れて信仰を持ち、神学校を経て開拓に遣わされたものの、どうしてよいか分からないために、個別訪問をしたり、トラクト配布をしたり・・・しかし、実りが無い。

 彼は、教団から給与を受けている事が心苦しくなり、経済的自立を目指して、名古屋の公務員試験を受け合格したので、教団に給与辞退を申し出ました。しかし、それが却下された時、「自分は、伝道者として召されていない気がする。だから、教職を退いて一信徒として生きてゆきたい。」と言うのです。まだ始めて三年も経っていないのに、召命を諦めるなんて!そう思った私は、その事に断固反対しました。その時の私たちの会話を後になって、アメリカ人預言者から聞くことになるとは!本当にびっくり!!何と主は、聞いておられたのです。

 その後聖一は、神様が本当に自分を召しておられるのなら、祈りだけで教会形成をしたいと思い、伝道活動を止めて、祈り始めました。
ちょうど、宣教師の一年間の帰国の時が来て、同じ愛知県の東郷町、和合という所で宣教師が持っていた集会があったので、藤が丘の一軒家から和合の場所に住居を移し、そこでも、集会を始めました。

 藤が丘では、駅前のビルの一室を集会所とし、集会案内の看板だけで、人々が来るのを祈って待っていました。そこに、一人、又一人と訪問する人々が集められて来たのです。
主に、青年たちでしたが、そこで、一人一人に時間を取って個人伝道をした人たちが信仰を持つようになったのです。後に教会の中核を担うようになった青年は、「イエス様を信じない人は、愚か者だ」と言われて、腹を立てて、「それなら信じてやる」・・とやけくそで信仰告白をしたと告白していました。彼のお母さんも導かれ、長い間、会堂のお花を担当したり、清掃に励んだり・・と教会に仕えてくださいました。
彼女の病の知らせを聞いて、枚方から名古屋までお見舞いに行った時、「ハレルヤ!先にイエス様の所で待ってます!」と満面の笑みでした。

 又、一人の青年が信仰告白をした後、ご両親が麻雀屋さんで、偶像が一杯なのを見て、それを全部外して教会の庭で焼いてしましました。ご両親は、拝むものが無くなったと言って教会に来て、二人共信仰告白をされたのです。その青年こそ、後にメノナイト教団の牧師になり、森佑里さんに洗礼を授けたY牧師です。

 その他の青年たちにも、みな、ドラマがあって・・・そのように、人々が集められ、ビルの部屋が手狭になったので、教団や宣教団の援助もあって、早期に会堂建設が実現しました。

 会堂が出来たので、私たちもその二階を牧師館として住まう事になりました。
その頃、導かれたのが佐賀姉妹(今の山口牧師夫人)です。上司の奥さんが私たちの教会に導かれておられたので、その紹介で・・・

 教会は、家族的で温かい雰囲気で、私は満足していたのですが、聖一の神への渇きは止まらず、ある時、聖霊セミナーに行って異言体験をしたのです。彼は燃えていましたが、私には、異言が気持ちが悪くて・・・。この事も争いの種となりました。

 彼は、どうしても、もっと主を知りたいと韓国への留学を希望しました。
教団は、藤が丘教会を辞任という形で許可を与え、私たち家族のために枚方市にマンションを用意してくれました。彼は、韓国で21日間の断食をして、その後留学の予定でしたが、許されず補食期間を経て、帰国しました。彼が帰国した時に、義実の悪霊事件を話したところ、ちょうどその日、彼が悪霊を追い出したという話でした。

 その後、寝屋川教会の伝道所であった楠葉伝道所で奉仕を始めました。
相変わらず霊的な飢え渇きを持って主を求めていたところ、日系アメリカ人三世のアーニーさんを紹介され、伝道所に招きました。

 彼が祈ると人がバタバタ倒れて異言を語り出したり、癒しが起きたり・・・こんな世界があるのか?と驚きました。
その時、ストマイ難聴の義母が補聴器を外して祈ってもらうと、倒れて、キラキラ星のような手の動きと共に、もの凄い異言が飛び出しました。そして、しばらくすると、「聞こえるよ、聞こえるよ、みんなの話が聞こえるよ」と言い、補聴器から解放されました。

 喜び勇んで大阪に帰った義母でしたが、その夜から外の車の音がうるさくて眠れないようになり、又、隣の部屋の音も気になり、人混みの中での騒音など、世の中の騒音に悩まされて、「聞こえない方が良かった」と言ってしまったのです。
すると、何かに耳が抑えられて、聴力が前に戻り、後で必死に悔い改めの祈りをしたけれども、あんなにはっきりとは聞こえるようにはならなかったと言っていました。

 この事が教団本部に伝えられ、聖一が呼び出されて、教団としては、許されない事なので、今後一切手を引くか、辞職するかの決断を迫られました。彼は、退職届に印を押して帰って来ました。
私は、その夜、眠れませんでした。あの出来事は、主の業なのか?それとも、教団が言うように悪霊の業なのか?悶々としたまま横になっていたのです。

【続きます】

濱本 章子 副牧師