5-8.大地

第5章 6日間(144時間)の天地創造

5-8.大地

神は「天の下の水は一所に集まれ。かわいた所が現われよ。」と仰せられた。するとそのようになった。神は、かわいた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、それをよしとされた。(創世記1:9-10)

 第三日目が始まり、創造主が出された新たな命令によって、水が集まり、また乾いた大地が現れました。水の集まった所は海と名付けられましたが、これは現在の海と同じではありません。後のノアの洪水によって、大気圏の上も下も、また地球の陸地も海も川も、すべて変えられてしまったからです。

上の水と分離された「天の下の水」は、様々な物質を浮遊または懸濁させ、あるいは溶かし込んだ水(液体)となり、地球全体を包んでいたことでしょう。(余談ながら、上の水は気体として上げられていますから、化学的には純粋の水、H2Oという化合物だけであり、その中に何かが溶け込んでいることは考えられません)。この水を一つの系に統合された状態に集め、また陸地も秩序あるものとして造るために、創造主のみ言葉がエネルギーを与えました。様々な物理的変化、そして化学変化も起こって、地殻やマントルや中心核を造り、固形の地球が出来上がりました。植物が育ち、動物や人間が生活する場としての大地が初めて地上に現れました。

「水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分かれて、四つの川となっていた。」(創世記2:6、2:10、新共同訳)と書かれています。大きなエネルギーによって陸地が出来上がる過程において、地下水路も縦横に張り巡らされ、その地下から地表に湧きだす水で土の面が潤されたのでしょう。このようにして、陸地と海が分離されるのと同時に、一つの水の循環系が出来上がりました(この循環系は現在の水の循環系とは大きく異なります)。

当時の地球における水の循環系を、簡単な図として模式的に描きました(この時点では、図に描き添えた樹木はまだ存在していませんが、第三日目の後半、準備の整った大地に各種の植物群が植え付けられました)。乾いた陸地の下、巨大な深淵には水の源があり、この水の源は海とつながっていた(青い矢印で水の動きを示す)と考えられます。水の源は地球内部からの地熱(赤い矢印)により暖められて、自然の泉として地上に吹き出し流れ出て、川(地表に海に向かって描いた青い線)となって海に注ぎ込まれていました。

川や海など地表にある水からは、僅かに蒸発が起こったり凝集が起こったりしています(小さい青い矢印)。全体の水の循環系に植物を通じての小さな循環も組み込まれていました。遙か上空には目に見えない水蒸気の天蓋がありました。このように全体が一つの系として働くように、「水の惑星・地球」が造られたのです。「まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。」(詩篇33:9)と書かれてある通りに、美しく準備が整えられました。それで、主は創造なさった作品をご覧になり、「よし」と確認されました。

「水は無料」という概念が、昨今、薄らいできていますが、値打ちのないものを言うときに「湯水のように」という表現が日本語にも英語にもあります。しかし、既に何度もお話ししてきているように(血液と海水の無機成分濃度ー2回、天地創造:神の霊によって)、生命体にとって水が必須で、大切な意味を持っていることを改めて強調したいと思います。この空気(酸素だけを指しているのではありません)や水は、必要充分な状態に初めから豊かに備えられているので、私たちはその大切さを認識しません。しかし、空気がこのように備えられていなければ、また水が無ければ、いのちは一瞬たりとも維持することが出来ないことを、腹の底から確認出来たときには、そのことだけでも創造主の偉大さ、叡智を思わずにおれないでしょう。そして、創造主への畏敬の念、崇拝、敬愛、信頼、感謝が、心の底から沸々と湧き上がってくることでしょう。

「創世記の記録」ヘンリー・モリス著、創造科学研究会(1992)、「創造」vol 3, No.3 & 4 (1999)、「科学の説明が聖書に近づいた」久保有政著、レムナント出版