6-11.命じられたとおりに

第6章 ノアの洪水

6-11.命じられたとおりに

ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行なった(創世記6:22 )

 「地球には局地的な天変地異はあったが、地球全体を巻き込む大激動は無かった」と仮定する斉一説を信じる心には、天地万物の創造も受け容れがたく、ノアの洪水も絵空事に思えるでしょう。そのような考えが定着している環境で生を受け、生き続けている日本人の心はノアの洪水の出来事一つ一つを具現して受けとめることは、とても難しいことかも知れません。
 主が地を滅ぼす宣言をなさってから洪水が起こるまで百二十年の長い期間が猶予されたこと、ノアたちは百年も掛けて巨大な箱船を建造したこと、洪水が起こった時にはノアは600歳であったことなど、おとぎ話のように心に映っているのではないでしょうか。
 あの大洪水が2003年の今起こったと想定して、私たちに馴染みの深い歴史の中にノアを置いて、ノアの誕生から洪水までの出来事を時間を追って辿り、百二十年、六百年という歳月がどのくらいの重みがあるかを身近に感じてみたいと思います。
 西暦1403年、室町幕府が開かれて十年後、ノアが生まれました。アメリカ大陸が発見された時ノアは89歳、その後、戦国時代を生き抜き、江戸幕府が開かれた時は200歳でした。NHKの大河ドラマ(※掲載当時)は江戸開幕の時代に生きた「武蔵」に続いて、幕末の「新撰組」と血なまぐさいチャンバラものばやりですが、チャンバラの最後を締めくくる明治維新の時にはノアは465歳になっていました。

 明治15年、今から百二十年前の日本は、ちょんまげ姿や武士の腰にぶら下げていた凶器がやっと町から消え、西郷隆盛が西南戦争で敗れて死に、良くも悪くも明治時代が固まってから5年しか経っていませんでした。この時に、主は百二十年後に「この地の面から生きものを消し去る」(創世記6:3, 7)と言われました。この地が一掃されることを宣言されてから暫く経って、その方法は全地球を覆い尽くす大洪水であることと、箱船による救いについてノアに直接お話しになりました。
 ノアは箱船建造に取りかかり、人々に語り始めました。帝政が確立していった明治時代、大正時代、そして激動の昭和に入りました。軍部が権力を掌握し、第二次世界大戦にまっしぐらに突っ走り、その結果、国土に雨霰と注がれた各種の爆弾に加えて、人類の汚点、原爆投下を二回まで被った日本は廃墟になりました。
 ドイツが降伏し、日本も無条件降伏し、両国は共に占領下に置かれ、それから58年が経ちました。講和条約が結ばれて日本は占領を解かれ、経済復興を遂げ、世界中が平和になるだろうという期待しました。
 しかし、それもむなしく、地球全体が堕落の渦の中に自らはまり込み、奈落の底に転がり落ちていくのを悲しく見ながら、2003年、600歳になったノアは箱船を完成しました。この百二十年という歳月は箱船建造に必要でもあったでしょうが、人々が悔い改めるための猶予期間であったのですが(創世記6:3, 人の寿命は百二十年に定められたのか?)、残念ながら人々はノアの語ることに耳を傾けませんでした(Ⅰペテロ3:20, Ⅱペテロ2:5, ルカ17:26, 27)。
 ちなみに洪水の時、ノアは「老人」であったというイメージが定着しているように思いますが、950歳まで生きたノアは洪水が起きた時には元気はつらつの壮年であったと考えたほうが適切な気がします。

 この節は、主が忍耐して待っておられた百年間全体の簡潔なまとめでもあります。ノアは、創造主のことばを堅く信じていただけではなく、そのことばに従順に従いました。主から話され、命じられたことは信じられないようなことであり、そして極めて困難な任務でした。箱船は巨大(綿密に設計された箱船)なもので、少人数で建造するには筆舌に尽くせぬ困難があっただろうと考えられます。それにもかかわらず、ノアは心から主を敬い、信じ切っていましたので、徹底的に従い尽くしました。この節以外にも、ノアが主の命令をすべてそのとおりにしたと、あと3回述べられており(7:5, 7:9, 7:16)、すべてのことに関してノアがどのように主に従順であったかがよく判ります。
 ちなみにノア以外にも、主が「命じられたとおり」行ったという記述は、聖書に計82回あります(創世記21:4、出エジプト7:6, 10, 20 etc、レビ記8:4, 9, 13 etc、民数記1:54, 2:34 etc、申命記1:19, 41など)。一方、主を拒んできた世界に関しては、ノアの洪水について書かれている詩篇29篇において、威厳をもって裁きの「主の声」がとどろき渡ったと7回も記されています(詩篇29:3-5, 7-9)。

 ノアは、主と共に歩み、従い通して、非常に親密な交わりがありました。主がノアに話しかけられたという記事は七箇所あり(創世記6:13-18, 7:1, 8:15-17, 9:1, 9:8-9, 9:12, 9:17)、そのたびに主は祝福を与えられたのです。

参考文献:「創世記の記録」ヘンリー・モリス著、宇佐神正海訳