6-14.閉ざされた扉

第6章 ノアの洪水

6-14.閉ざされた扉

それから七日たって大洪水の大水が地の上に起こった。ちょうどその同じ日に、ノアは、ノアの息子たちセム、ハム、ヤペテ、またノアの妻と息子たちの三人の妻といっしょに箱舟にはいった。彼らといっしょにあらゆる種類の獣、あらゆる種類の家畜、あらゆる種類の地をはうもの、あらゆる種類の鳥、翼のあるすべてのものがみな、はいった。こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ箱舟の中のノアのところにはいった。はいったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた(創世記7:10, 13-16)。

 洪水の来る前の作業がつつがなく終了し、すべてのものは主が命じられた通りに箱船の中に入りました。
そして、驚いたことに創造主ご自身が箱船の扉を閉められました。「彼のうしろの戸を閉ざされた」(新改訳、口語訳)という翻訳は、分かりにくい日本語のような気がします。文語訳は「彼を閉じこめ給へり」となっていて、強過ぎる表現であることを除けば内容の本質を伝えているような気がします。
英語訳では "shut him in" とか "behind" など日本語では一語で表しにくい表現が使われていて、この内容を説明すると「主は彼を中へ入れて戸を閉めた」(NKJV, NIV), 「ノアが入った後で、主は戸を閉めた」(TEV)、「主が戸を閉めて、中に封じ込められた」(Living Bible)という意味です。
一体どのようにして戸を閉ざされたかは書かれていませんが、地球全体を覆う大洪水に翻弄されても、隙間から暴風や水が入ってこないように戸を閉ざしたのはノアたちではなく、彼らを護るために主ご自身が封じられたのです。
このようにして、箱船に入った彼らは主の御手の中にあり、完全な保護下にあることをノアたちに再確認されたのです。「主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられます」(詩篇29:10)

 主によって戸を閉じられた瞬間から、ノアたちは今までの世界から永遠に切り離されてしまいました。
それまでの世界を捨てて、新しい世界で新しい人生の扉を開くために箱船による救いに身を委ねたのでした。悪の勢いは二十一世紀の現在の世界と同じように、ノアたちをも含めて当時の全世界を滅ぼし尽くそうとしていました。
そして、全世界が悪に飲み尽くされる寸前に主は大洪水を用意なさり、不信仰者を滅ぼし,箱船によってノアたちを安全に洪水から守られたのです。「すべて主を愛する者は主が守られる。しかし、悪者はすべて滅ぼされる」(詩篇145:20)と書かれている通りです。戸が閉められたのは日中だったでしょうが、船の中は決して明るくはなかったでしょう。
通気及び明かり取りのために屋根と側面の間に付けられた窓は決して大きくはなく、又当然被いが取り付けられていたでしょう(「綿密に設計された箱船」)。大洪水が荒れ狂い、水かさが徐々に増し、古い世界を破壊し埋没させました。空は昼間も暗かったでしょうし、気温も著しく下がったでしょう。そういう状況でも、ノアたちは主のおそばにいましたから、何があっても不安を感じることはなかったでしょうが、肉体的に寒さと暗さは襲ってきたことでしょう。
いかに大きいと言っても限られた閉鎖的な空間である箱船の中で、その寒さと暗さとをどのように堪え忍んだかは判りませんが、「主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福され」(詩篇29:11)、鉄壁の護りをお与えになったのです。
辛かったとか苦しかったとかとは、いっさい書かれていないことからも伺われます。一方、動物たちは、いわゆる冬眠状態で過ごしたものも多くいたのではないかと考えられます。

 地球全体を水の底に沈め破滅に導いた裁きと死の、その同じ水が、主の御手の中に委ねられたノアたちと動物を箱船の中でしっかり守りました。
ノアたちが「箱船の中で、水を通って救われ」たのは、「バプテスマをあらかじめ示した型」であるとペテロは言っています(Ⅰペテロ3:20, 21)。
恐ろしい洪水の水は、「正しい良心の神への誓い」のバプテスマの水として用いられ、古い人が死んで新しい人生へ再出発する型として、神の子としての栄光ある自由へと導かれることを表しています。

 聖書預言が次々と成就する昨今の世界のありように、その日が具体的にいつであるかは誰にも分かりませんが、最後の日がそう遠くないと多くのクリスチャンは感じています(マタイ24:35, 36)。今は恵みの時、イエス・キリストという無限に大きな箱船への救いの招待状を全人類、一人残らず受け取ったのです。
十字架上でイエス様が、「完了した」(ヨハネ19:30)とおっしゃったその時に、全人類に向けた救いの招待状が発送されたのです。箱船に入るかどうか、それは各人の選択だけです。船の扉が開いている間に、一人でも多くイエス様の胸に飛び込んで行くことがどんなに待たれていることでしょう。
洪水が現実のものとなるまで人々が分からなかったのと同じように、今の時代においても分かろうとしない人々が大勢います。遠からず訪れる終わりの日には、今の時代における救いの箱船の扉を主ご自身が閉じられることでしょう(マタイ24:14、Ⅱペテロ3:10)。