6-9.水の中に封じ込められた地球

第6章 ノアの洪水

6-9.水の中に封じ込められた地球

わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない(創世記6:17)。

 創造主は地上の堕落を悲しみ、地と共にいのちあるもの全てを滅ぼすと宣言なさいました(創世記6:3, 7, 13)。生命の残りが後百二十年であると言われた当時の人々は、それをどのように理解したのでしょう。八百年~九百年の生命を生きていた人々にとって、「死ぬ」などということは遙かに遠い出来事であり、実感として受けとめるのは困難であったことでしょう。
「みんな、こうなのだ」と考えるのが大好きな日本人は、「赤信号、みんなで渡れば恐くない」という恐ろしい思想に翻弄されて、宇宙を創られた全知全能のお方の御心を判ろうともしないでいます。個々人は限られた小さな体験しか持っていませんし、目に見えたことしか信じず、迫り来る破滅を理解出来ないことにおいては当時の人々以上ではないでしょうか。

 主はここで初めて、どのようにして滅ぼすのかをノアに明らかになさいました。大洪水を起こし、生き物は地と共に残らず死に絶えるのだと、その救いの道は箱船しかないことを伝えられました。「洪水」と言われても体験的に洪水を知らず理解する術のないノアに、主がその実態を詳細に説明なさったのか、なさらなかったのかは不明です。不思議の上にさらに新たな不思議が付け加えられ、しかも常識はずれの巨大な船を建造するようにと命令を受けて、何が何だか分からない大混乱の渦の真っ只中で、霊魂共に目眩を起こしてしまっても当然であった状況でした。
しかし、創造主を本当に知っており、敬愛し、信頼しきった人々は、自分たちの理解の範囲を超えたどんなに不思議なことであっても、主の仰せを心の底から信じ、素直に喜んで従った事実には驚嘆の思いを禁じ得ません。ノアたちのこの信仰、この従順とは対照的に、その後の人類はこの洪水の記事を様々に脚色しました。この洪水は全世界レベルの洪水ではなく、局地的な洪水であったという見解が後を絶たないようです。

 では、聖書がこのノアの洪水をどのように証言しているかを調べてみましょう。
まず、使われている言葉の問題です。翻訳では余り区別されていない「洪水」という言葉について、原語であるヘブル語では、「破壊」を意味する言葉に関連した「マッブール」という特別な言葉が使われています。
この「地上の大水、大洪水」、マッブールという言葉は、「水力学的大激変」と訳しても良かったはずの言葉だったのです。
この言葉は創世記6-9章以外では、詩篇29:10で使われているだけで、他の局地的な洪水は別の様々な言葉で表現されています(ヘンリー・モリス著「創世記の記録」より)。

 新約聖書においては、意味としては「洪水」の概念に当たる局地的な激しい出水に、英語訳ではflood、日本語訳では洪水、大水とノアの洪水と同じ言葉に訳されていますが、原語のギリシャ語ではノアの洪水とは別の言葉が使われています(マタイ7:25, 27, ルカ6:48, 黙示録12:15)。そして、ノアの洪水を引用する時だけ、「カタクリュスモス」という特別な言葉が使われています(マタイ24:39, ルカ17:27, Ⅱペテロ2:5, 3:6)。
さて、内容的にこのノアの洪水がどのように聖書に書かれているでしょうか?この洪水は、地球全体を、最も高い山まですっぽりと包んでしまった(創世記7:17-20、ナホム1:8)と、そして、人だけではなく「いのちの息のあるすべての肉なるものを、天の下から」全て滅ぼされた(創世記7:21-22、ナホム1:8、マタイ24:39、ルカ17: 27、Ⅱペテロ3:6)と証言されています。

 「彼らを地とともに滅ぼそう」(創世記6:13)と言われた通り、この洪水によってまさに全地球規模で地殻は奥深くまで掻き回されたでしょう。
海溝が深くなったり、逆に海底が隆起したり、山が削られたり、逆に高くなったり、火山活動も活発に起こり、元の地球の姿は留めなかったでしょう。
局地的な洪水とか、穏やかな洪水という出来事とは全く質の異なるもの、歴史上他には類のないもの、地球を水の中に埋没してしまった出来事だったのです。
死んだ生き物は地上の動物や鳥だけではなく、多くの海生生物もまた死んだことに疑う余地はありません。
模式的に示した図の左側は現在の地球ですが、それを洪水(多分、濁流の泥水が地上の海も土地も森も上からは全く見えない状態だったでしょう)が全体をすっぽりと封じ込め、箱船は渦巻く洪水に翻弄されつつ漂い続けたことでしょう。この箱船による救いの恵みに預かった8人の人と動物以外はすべて滅びてしまったのです。