創造主に出会って ~第二十五章~
聖一が遺した言葉
彼は、病を得ましたが、驚くべき永遠のいのちの喜びの中に生きる事が出来ました。そこで、彼は「この世界は、愛という原理によって動いている。」という発見をしました。彼は、ローマ書を愛し、特に8章を何度も読むように依頼しました。
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」
この愛の中で霊の満足を得ていました。と同時に、人々の愛によって支えられている事にも気づきが与えられました。最期の日々を過ごした病院は、ケアが行届いておりました。看護師さんたちは、技術には差がありましたが、全員が親切で温かさに満ちていました。
理学療法士さんは、毎日、一時間くらいかけて体をマッサージしてくださったのですが、その時間をとても喜んでおりました。又、その時間は、福音を語る時間ともなりました。
主に私が語らせて頂きましたが・・歯科衛生士さんは、日に二度ほど口腔ケアをしてくださり、それをとても喜んでおりました。全ての人々に愛を感じ、愛されている実感を感じているようでした。
聖徒たちのお見舞いは、主の愛を分かち合う特別な喜びの時となりました。
又、子どもたちが交代で泊まってくれた事。長男が日曜日に朝早から、食事介助をしてくれた事など、家族が一つになれた事も彼の喜びでした。何と自分は、愛に包まれている事か・・と地上での幸いを味わう事が出来たのです。
しかし、彼の望みは、天に在り!何よりも私より先に逝く事が出来る事が喜びだと言っておりました。私が彼の愛を感じたのは、「自分の側に居て欲しい」と言われた時です。そして、最期の日々も、側に居て欲しいと言われました。イエス様も、「わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」ヨハネ14章3節と言われました。
私たちが永遠に主と共に住むための場所が用意されている。何という愛でしょう!
「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」
【続きます】
濱本 章子 副牧師