創造主に出会って ~第二十六章~

創造主に出会って ~第二十六章~

東香代子さんの事

 香代ちゃんは、義妹の次女です。
子どもの頃からおとなしい手のかからない子どもでした。
赤ちゃんの時、義妹が長女を連れて外出中、預かった事があるのですが、非常におとなしく、お母さんが居なくても泣かない子どもでした。

子どもの頃は、母親と共に遠方から枚方の楠葉まで来て、礼拝に集っておりました。
高校生の時に、阿蘇聖会に出席した彼女は、ホテルのプールで洗礼を受けておりました。

しかしその後、教会生活を続けなかったようです。

 高校卒業後は、大阪市の職員として市役所に勤めておりました。
人間関係が上手で、気配りが出来、皆の人気者で、多くの友人と楽しい生活を送っていたようです。
親にとっては、頼りがいのある自慢の娘でした。
彼女に結婚願望はなく、マンションを買って、友人たちと楽しむ場として提供しておりました。

 そんな彼女に悪性リンパ腫が見つかり、入院したという知らせを聞いて、私は、福音を携えて見舞いました。洗礼を受けていたのですが、何と彼女は、再度の信仰告白を拒みました。
「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」ローマ10章9節

 私は、彼女の肉体の癒しも求めたのですが、それ以上に霊の救いを確かなものにして欲しいと願っていたので、イエスを主と告白しない香代ちゃんに驚き、心が痛みました。
後で、妹の由美ちゃんには、「イエス様は信じているけれども、自分は、クリスチャンとして相応しくないと思うから、祈らなかった。」と言っていたようです。

 彼女が抗がん剤治療を辛いと言った事を聞いた事がありません。痛みも、いわゆる病人が弱気になって言う不安も漏らさず、平然と治療を続けておりました。
それもうまくいかないで、骨髄幹細胞移植を試みる事になりましたが、彼女はめげずに治癒を信じて、退院後の旅行計画などを立てていました。幸いに彼女の妹の骨髄幹細胞が適合し、移植を行う事になりました。提供する妹も大変な苦痛を伴い、泣きながら採取してもらったそうです。姉でなければ、決して承諾しなかったと言っておりました。又、提供を受ける方は、白血球がゼロになるまで抗がん剤で叩くという壮絶な治療で、祈っていても涙が止まらないほどでした。

 それでも、妹の骨髄幹細胞が生着して、白血球が増えて来たという報告を聞いた時、ほっと安心したのですが、間もなく再発!
その時の彼女の決断は、もう一度、骨髄幹細胞移植をするというものでした。
彼女の強靭な生きようとする意欲に驚きました。しかし、もう体力は残っておらず、ホスピスを勧められたのですが、彼女は自宅に戻る事を決断。母親が付き添いました。そこで、マーリン・キャロラーズの本に出会い、「ただ信じるだけで救われる」恵に縋りついたのです。

 その信仰の証のために、奈良から枚方まで信仰告白をするために来ると聞いて、近くの教会にしたら?と提案したのですが、「おばちゃんの教会でする。」と本人の意志は堅く、姉の運転で車椅子に乗って京阪グレイスチャペルにやって来ました。本人は、もう皆さんの前で話す力がないので、私が代わりに代弁させて頂きましたが、本当に感動的な瞬間でした。

 その時も呼吸の乱れがあったので、「苦しい?」と聞いても、首を振って否定しておりました。どんなに疲れた事でしょう。
二日後、見舞った時も、呼吸の乱れはあったものの意識も明瞭で、食事も摂れていたのですが、私が母の世話のために自宅に帰った間に天に帰って逝きました。
最期まで、苦しみを現すことなく逝きました。葬儀には、100名くらいの友人が集まり、人々に慕われていた事が証されました。43年の生涯でした。

何よりの慰めは、イエスを主と告白出来、永遠のいのちを証して逝った事です。

【続きます】

濱本 章子 副牧師