創造主に出会って ~第二十八章~

創造主に出会って ~第二十八章~

癒しの信仰

 私は、信仰を持った時から、命を与えられた方は癒す方だと思っていました。妊娠中における癒しの証は、既に語りました。
子供が与えられてから、三人の子供が小児科医のお世話になることはありませんでした。
症状が出ると、手を置いイエスの御名によって祈って癒されました。
時には、症状が長引いて夫が心配する場面もありましたが・・・ワクチン接種は積極的にしました。
長男が肘を骨折した時には、外科でギブスを巻いてもらいました。
ギブスは、腕を直角に曲げたまま巻かれたので、ギブスが外れた時に腕が伸びませんでした。リハビリに通う事を勧められたのですが、それを怠ると、いつまで経っても腕が伸びないのです。

 病院に連れて行くと、手術が必要かもしれない。と言われたので、祈り始めました。
当時、教会では、腕や脚を伸ばす祈りをしていたので、簡単に伸びると思ったのですが、伸びないのです。
それで試しに長男が眠ってから手を置いて祈ると少しずつ伸び始めました。祈りを止めると戻るのですが・・。
毎夜それを繰り返すうちに、だんだん伸びるようになって、遂に真っ直ぐになったのです。

 又、長男が高校生の時、高熱と咳が続きました。祈っても癒されないので、肺炎を疑い、病院に連れて行こうとするのですが、本人が拒否。
困ってしまって、私は覚悟を決めて徹夜で祈る事にしました。何時間祈っても埒が明かない状態で、疲れ切っていたところ、明け方近く、長男が大暴れし出して・・・悪霊現象だと思い、悪霊追放の祈りをしました。
しばらく戦うと悪霊は大声を上げて出て行き、静かになりました。
その時から、熱は下がり咳も治まりました。全ての事の背後に霊的な存在がある?

 私は・・と言えば、風邪を引きやすく、咳が出るとなかなか止まらない。それでも、祈ると自然に癒されるので、薬を使いませんでした。
ある時、市民検診で引っ掛かり、CTを撮ったところ、気管支拡張と診断されました。
それでも、祈りで対処しようとしたのですが、咳がどうしても止まらない事態になり、抗生物質を処方してもらうと、咳は簡単に軽減し、自分自身は、敗北感に苛まれました。
その後は、咳が出るとすぐに薬に走る事を繰り返すうちに、持続的に抗生物質を服用するようになると落ち着きました。

 私の中では、薬に依存する思いが出て、祈るのは無駄?という思いさえやって来ました。しかし、このままで良いのか?という葛藤が生まれ、主により頼む証として薬を絶つ事に決めました。
勿論、発熱や強い咳の時には、薬を飲むつもりでしたが・・・。その後、今も常時、痰は出ていますし、時々咳き込む事もあるのですが、日常を平穏に過ごさせて頂いております。

 他の体の問題に緑内障があります。40代の頃から正常眼圧緑内障があったので、点眼していたのですが、夫の病気発覚から受診を怠り、全てが落ち着いてから受診すると、高眼圧になっており、視野狭窄を指摘されました。視力低下を心配しましたが、白内障の手術で視力は回復しました。

 今も、緑内障の進行があり、時々レーザー治療を受けております。
パソコンを使う事も眼精疲労に繋がるので、書く事もしばしば中断しています。
朝目覚めるとすぐ、見える目を与えられている事に感謝しています。

 夫の闘病記には、奇跡?と思える体験を色々載せましたが、今も、強く心に残っているのは、癌による反回神経麻痺のために、声が出にくくなった時、「これは、治りません。」とはっきり言われて、夫は「それなら早く召して欲しい。」と言いつつも、かすれ声で悪性リンパ腫の医師の方に福音を語り、その方は、それを真剣に受け止めて福音を信じ、その一か月後に喜びの中で天に帰って逝かれました。

 まだ体力はある。メッセージをしたい・・・と祈る内に奇跡的に声が回復!
医師もびっくり!!「ラッキーでしたねー。」と言われたので、私は心の中で、その内に癌も消える・・・と言っていました。

 あんなに色々御業を見せてもらったのに、完全な癒しは無かった事をどう受け止めたら良いのか?この問題については、色々考えさせられたのですが、主は良い方。主は、最善をなされる。の信仰に立つ時に、平安が与えられます。

 もう一つは、主は、本人の真の心の願いを叶えてくださるという事です。夫は長命を願わず、主の御許に行くのを楽しみにしておりました。「自分には、死ぬという仕事が残っている。死ぬのは、本当に楽しみ・・・」とも言っておりました。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。」ヘブル9章25節

 この肉体は、癒しを受けてもやがて死ぬ。しかし、霊のいのちを受けている者は死なない。
「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」
夫は、このみ言葉を示されて喜び溢れ、「僕は死なない!」と告白していた事を思い出します。私も又、死なないのです。

【続きます】

濱本 章子 副牧師