創造主に出会って ~序章~

創造主に出会って ~序章~

私は、80歳という年齢を迎えて、自分の生涯を振り返ってみますと、思いがけない恵の数々によって導かれて来た事に驚いております。

「私たちの齢は70年、健やかであっても80年。」とあります。ですから、もう齢は尽きています。 それで終活の一環として、主が私にしてくださった事を記録として残してみようと思いました。

私は、1941年6月29日に生を受けました。父が船会社に勤めていた関係で、両親は中国の上海に住んでいた事があったようです。まだ、一歳にもならない私 が中国にいた写真を見た事があります。父は、私が4歳の時に他界し、母が働きに出たため、私は父の母に養育されました。とにかく私を溺愛してくれた祖母でした。

その祖母が私が小学一年生の時に他界。それ以降、私は不安を抱えながら生きていたようです。母が仕事で疲れているため、私に家事をするように言われましたが、私のする事は母の気に入らず、母の怒りからどのように逃れたらよいのか分かりませんでした。

二年生になった時、母は再婚しましたが、その人は、共産党活動に身を捧げているような人だったので、収入が無く、相変わらず母の仕事が収入源でした。

そんな折、私は、突如高熱が出て扁桃腺が腫れ、しばらくすると全身浮腫で、目も開けられない状態になり、人相が一変してしまいました。診断名は急性糸球体腎炎。急遽入院となり、その間に、扁桃摘出手術を受けましたが、完治とはいかないで、慢性腎炎と共に生きる事になりました。

入院生活中の慰めは、看護婦さんたちで、皆さんに可愛がって頂きました。特に注射の上手な看護婦さんは、私の憧れでした。学校に戻っても体育の授業はいつも見学で、運動は大の苦手となりました。病気の方は悪化することなく、平穏な学生生活を送っていました。

【続きます】

濱本 章子 副牧師