創造主に出会って ~第九章~

創造主に出会って ~第九章~

教会生活

 始まったばかりの教会生活は、楽しいものでした。

 礼拝後は、調理師の姉妹が午後も残る人々のために昼食を用意してくださり、安価でとても美味しかったのを思い出します。

 午後、牧師はしばしば青年たちを連れて路傍伝道に行きました。賛美があり、証があり、牧師のメッセージがありました。信仰告白をしたばかりの者にも、証を依頼されるので、それは困りましたが、みんなで行動出来た事は楽しかったです。

 牧師夫妻は、家庭を解放してくださり、私たちは我が家の如くに牧師館に入り浸っておりました。

 卒業後、私は保健婦学校に進学予定でしたが、教会役員で医師であるSさんの熱心な勧めもあって、京都にあるバプテスト病院に勤める事になりました。

 務めの一年目は、内科病棟で、やはり慢性腎炎の方が多かったです。その中に、トータルの九州の水俣教会の創設者であられる神薗先生がおられました。その頃、京都の神学校で学んでおられたのですが、慢性腎炎で入院中でした。純粋な信仰を持っておられる方で、その頃、TLオズボーンという有名な癒しの伝道者が京都に来られて、大きな集会を持たれていました。色々な癒しの奇跡が起こったようで、神薗先生は、熱心に癒しを語っておられました。

 私たちがトータルの群れに入れて頂いた頃、神薗先生は召されました。私よりも若かったのですが・・・最後まで救霊に燃えておられたそうです。何故、神薗先生が若くて召され、私が長く生かされているのか?

 後に、牧師となられた房子先生がお嬢さんと共に、賛美礼拝の講師として、牧野本町にあった教会に来て、主は、賛美を通して臨在を現わされる事を証してくださり、私たちも賛美に燃えた事を想い出します。

【続きます】

濱本 章子 副牧師