創造主に出会って ~第十一章~
献身の準備
信仰の確信を得て、平安を得た後、検査データーの改善が見られ、退院する事になりました。
その時、主治医から言われた言葉は、「貴女は、結婚できないねー。慢性腎炎の組織は、回復不可能だから、悪化を防ぐためには安静と食事療法以外にはない。薬も出すけれども、効果は期待出来ない。」というものでした。私は、期待できない薬を飲み続ける事は止めたのですが、その中に「キドラ」という薬がありました。その後、スモン病薬害となる薬の中にその名前があったので、驚くと共に薬害から免れた事を知りました。
安静を保つためには、仕事を辞めるしかありません。これからどうすれば良いのか?
私は、自分を主に捧げる証として神学校に行けば良いのでは?と思い、牧師に相談したら、牧師は賛成。S先生も賛成。ベッカー先生は、それはそれは大喜びでした。
多くの人々の賛成を得たのですが、母だけは反対でした。「経済的にどうするのか?結婚はどうなるのか?」私は、結婚出来ないと思っていたので、その心配はなかったのですが・・・
神学校入学まで、どうするのか?寮を出なければなりません。
私は、収入を得るようになってから、オルガンを習い始めていました。その先生は、大きな家に年老いたご主人との二人暮らしです。私の事情を話すと、無償で部屋を提供してくださいました。又、食事制限の食事を作る事も許してくださいました。
自由な時間を得て、初めて聖書全巻を読み、聖書学校受験に備えました。
聖書は難解で、全部読んでもさっぱり分からなかったというのが実情でした。
聖書は、神の言葉と教えられたけれども、本当に信じるに値するものなのか?疑問が絶えませんでした。
でも、聖書を学ぶ事は悪くない。又、蓄えも少しあるので、生活はやって行ける。
そんな思いで大阪聖書神学校に入学しました
体調はいつも優れませんでした。風邪ひきやすく、咳が止まらなくて困る事が多かったです。
風邪薬の影響で、いつも眠たくて授業中は、よく居眠りをしていました。
「清水さん(私の旧姓)は、実践寝学(神学ではなく)をしている。」と同級生に揶揄されていました。
聖書学校では、レポート提出を求められる事が多く、そのため図書室に行くと、蔵書が沢山ありました。しかし、日本語の物が少ないのです。仕方がないので、英語の参考書を開き始めました。み言葉は、英語バイブルクラスのお陰で親しみがあり、辞書を引きながら、導入部分と結論部分を読み、アウトラインを見て、必要と思うところだけ、読むようにしました。
それで、レポート提出すると、高評価が得られたので、勉強大嫌いな私が意欲的に学ぶようになりました。知的な満足は得ても、霊的には相変わらず満たされない日々でした。
【続きます】
濱本 章子 副牧師