創造主に出会って ~第十四章~

創造主に出会って ~第十四章~

義母の事

 義母は、一言で言えば「母親の鑑」。子供のために、自己犠牲を惜しまない人でした。

 若い頃、結核を病み、その治療薬のためにストマイ難聴があり、補聴器をかけていました。又、結核の後遺症で、気管支拡張症になっていました。
そんな体で、他の女性に走った夫と別れて、三人の子供を育てるために日夜働いた人でした。

 何の資格も持たない義母は、色々な仕事をしたのですが、その中でも廃品回収が一番お金になったと言っていました。車ではなく、大八車で回ったのですから、相当な重労働だった事でしょう。
そんな義母は、義妹の産後の手伝いだけではなく、私の産後の時にも手伝いに来てくれました。長男の時、私は授乳で必死でしたので、お手伝いは本当に助かりました。

 当時、オムツは布おむつ。義母が洗濯して畳んでいるのを見てびっくりした事は、直角に畳まれて綺麗に積み上げられているのです。何事も丁寧で几帳面で・・・きっと、わたしのだらしなさに驚いたと思いますが、その点を指摘することもなく、本当に働き者でした。

 二男の出産の時も、来てくれたのですが、体調不良にもかかわらず無理をしていたようです。
私と二男が退院して来ると、長男が熱を出しておりました。すると、義母に伝染して、高熱と咳、それに嘔吐と下痢まで加わって、脱水状態になってしまいました。

 病院へ行きますと、レントゲンで肺結核の再燃だと言われ、結核病院に入院となりました。そこで聞かされた事は、心臓が弱っていて危険な状態という事でしたので、私は新生児を夫に託して付き添いました。

 義母も覚悟していたようで、「ここで、章子さんの世話になって死ぬ。」と言うのです。
私は、み言葉で励ましながら、必死になって祈り始めました。ただ、ただ、「主よ助けてください」と主に向かって叫び続きました。
すると、危機を脱したのです。そして、数か月の入院の後、退院出来ました。

 その時、義兄夫婦と義妹も飛んで来たのですが、義妹は喪服を用意して来ていました。と言う訳で二男は、初めからミルクで、しかも、よく飲んでくれて楽でした。
しかし、夜泣きに悩まされました。昼間はよく寝て、夜は抱いていないと泣くので、私は、子供を抱きながら眠りました。

 三男の時も、手伝いに行くと言う義母に対して、「今度は、里帰りするから」と断りました。
母の承諾は、得なかったのですが、義母に二度とあのような苦しみに会わせたくない一心で、押しかけ里帰りを強行しました。

 私たちが牧野に移った頃からでしょうか。義母は、大阪から土曜日に来て、日曜日礼拝に出るようになりました。もちろん、じっとしていません。あちらこちら、掃除して礼拝に備えていました。

 そんな義母が動く時に、ぜーぜーという喘鳴が聞こえるのです。体調を気遣いましたが、働き者で休まないのです。それで、夫の提案で、近くに引っ越してもらう事にしました。

 そこでも、義母は、小奇麗にして住み、よく聖書を読んでいました。
義母が何故クリスチャンになったかを聞くと「聖一があまりにも変わったから・・・」と答えたのです。「すぐ怒りを爆発させて何をするか分からない子やったけれど、変えられたよ。今は、イエス様に似た性格になって・・・」と。そうかなぁ、まだまだ短気で難しい人だけれども・・と思いながら聞きました。

 そんな義母の体調変化に気が付いたのは、どんなに体調が悪くても、しっかり食べていたのに、「ご飯が一杯しか食べられなくなった。」というのです。(通常は、三杯くらい)
その後、発熱して病院に行った時は、肺炎の診断でしたが、入院している間に肺癌疑いになりました。肺癌の診断がされた後、積極的な治療は止めて、対症療法を選びました。

 当時は、告知しない事が普通でしたが、夫が告知を選び、病院と一悶着ありました。
いよいよ、集中治療室に入った時、義母は幻覚を見るようになったようです。

 当時は、誰かが付き添わないといけなかったので、私が付き添っていると、「あの人又、来ている。お医者さんでも、看護婦さんでもない。いつも来て、わたしをじっと見ている、」と言うのです。目には見えなかったのですが、私は、霊的なものと思い、「主イエスの御名によって去れ!と命じると何と私に暗黒のものが襲いかかって来たのです。体が締め付けられそうでした。金縛り?私は負けずに、「主イエスの御名によって出て行け!」と何度も命じると去って行きました。その後、義母の安らかな寝息が聞こえてきました。朝までぐっすり痛みが無く眠れたのだそうです。癌の痛みも悪霊が持って来たものか?

 それからは、痛みに対してモルヒネを飲むようになり、痛みは軽減されました。
ある朝、義母は天国の夢を見ました。イエス様が居られ、私たちも一緒に居たそうです。
その日、大好きなにぎり寿司を2個食べて元気そうでした。

 義母の付き添いは24時間。その頃は、義妹も来てくれて交代で付き添っていました。
二日ほど昏睡状態が続いた後、義妹が付き添っていた日曜日の午後、眠るように召されて逝きました。

 子供たちに仕え、イエス様に仕えた生涯でした。本当にお世話になりました。

【続きます】

濱本 章子 副牧師