創造主に出会って ~第十五章~

創造主に出会って ~第十五章~

子育てについて

 「聖一想い出の記」にもありましたように、聖一の子育ての基準は、「箴言」でした。

 「むちを控える者はその子を憎む者である。子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。」とあります。ですから、毎朝の家庭礼拝では、子供たちに暗唱聖句をさせました。そして、うまく出来ないと体罰です。礼拝では、静かにする事を求めました。出来ないと、私に体罰でしつけるように要求しました。私は、反論しましたが、理屈では勝てなくて、夫に従う事になりました。今思い返すと、子供たちに申し訳ない思いです。又、子どもたち一人一人に、どんなにイエス様が彼らを愛しているか、その存在が尊いものであるかを、言葉や態度で表現すべきでした。

 又、聖一は教育熱心で、子どもたちに勉強を強要しました。そのお陰で、長男と三男は、中学校までは、優秀でした。二男については、言葉遅れがあり、知恵遅れの可能性があると言われていたので、諦めていたようですが・・・でも、長男と三男は、勉強する事の意味も目的も分からず、進学校と言われる高校に進学しても、自ら学ぶ意志を持たず、大学も公立しか入学を許されず、入学しても勉強意欲が無かったのか、中途退学してしまいました。それでも、長男も三男も、それぞれに働ける所を探して、真面目に働いております。

 私は、子どもたちにこの世の成功を望まないで、「主の御用のために彼らを捧げます。」との祈りをしていました。幸いな事に三人共、ばらばらの時期に自分の意志で主イエスを自分の罪からの救い主、主と告白して洗礼を受けました。

 二男はというと、とにかく繊細でよく泣きました。そのため、うるさいのでベビーサークルの中に放置する事が多かったのです。私の記憶にはないのですが、彼は、いつも私のスカートの裾を握っていた・・と母が私に言っておりました。

 言葉が遅れていて、日常会話もままならなかった三才の頃、昼寝をしていた二段ベッドの上で騒ぎ出しました。そして、「悪霊がいる!」と言うのです。
私には、何も見えず、一緒にいた長男にも見えませんでした。
「夢でも見たのじゃないの」が長男の言葉。それでも、あまりに恐れている様子なので、「イエスの御名によって悪霊よ去れ!」と何度か命じると、「行っちゃった」と又、横になりました。 それで、二男に触ったところ、高熱です。 計ると40度近くありました。

 私は、熱にうなされたのだと納得しておりましたら、又、「悪霊がいる!」と騒ぐのです。
それで、又、「イエスの御名によって悪霊よ去れ!」と何度か命じますと、又、「行っちゃった」と横になるのです。そこで、もう一度、体に触れるともう熱くない。
平熱になっておりました。

 この体験をして以来、しばしば、似たような体験をしたようです。
ある夜中、「悪霊よ去れ!」という大声で家族全員が起こされた時がありました。
その夜、悪霊がやって来て、「あほ、ばか」と書いたというのです。それで、自分で悪霊を追い出したという事でした。このようにして、二男は、イエスの御名が悪霊に勝つという事を自ら体験していったのです。

 彼は、近所では友達をいじめ、学校でもいたずらをして叱られるような子供でしたが、霊的な渇きがあったようで、TVの福音番組などをよく観ておりました。
その頃、「ジミー・スワガード アワー」という番組があり、ジミー・スワガードがピアノを弾きながら賛美をし、又、メッセージを力強くしていました。それを観て、「僕は、あのようになる」と言ったのです。普通の会話も難しいのに・・・ 私には信じ難い事でしたが、今、彼は、ピアノを弾きながら賛美をし、メッセージをしています。主を賛美します!

 二男は高校卒業後、進学という事は選択肢になかったのですが、YWAM (ユース・ ウィズ・ア・ミッション)の弟子コースがハワイであり、それに参加する事になりました。
そこで彼は、深い神体験をさせて頂き、献身の思いが与えられたようです。後に、アメリカのオレゴン州にあるポートランドバイブルカレッジに行く事になるのですが、その学校のロゴマークを祈りの中で見せられていたという不思議な経験もありました。

 卒業後、父と共に伝道師としての働きを始めるのですが、数年して、シンガポールの聖書学校で学ぶ事になりました。そこで、後に妻となる女性との出会いがありました。学校を終えて帰国後、父親の意に反してシンガポールに戻り、結婚し、ピアノ教師として生計を立てながらシンガポールに永住する決意で家も購入していました。

 そんな頃、父の病気が発覚。牧師の後任選びに、執事会の人々は、牧師が推薦した人ではなく、義実に後任になって欲しいと意見が一致したのです。
その申し出を義実夫妻は、受け入れ、家族と共に帰国して今に至っております。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。」 イザヤ55章8節

【続きます】

濱本 章子 副牧師