5-31.チリから出てチリに帰る

第5章 6日間(144時間)の天地創造

5-31.チリから出てチリに帰る

その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった(創世記2:7)。

 土地を構成する成分の最小単位である炭素、水素、窒素、酸素、カルシウム、リン、などは、人体を構成している物質とは異なっているように見えます。ところが、これらの元素は、他の微量元素と共に複雑な化合物、例えば蛋白質・糖質・脂質・核酸等になって人の身体を構成していることが、二十世紀の科学の進歩によって判明しました。下の表は、成人男子の身体(体重60kg)を構成している主要な四つの元素の重さ及び体重に対する比率を示していますが、これら四つの元素だけで人体を構成する元素の実に96%を占めています。

元素    重さ     比率

酸素   37.6 kg    62.7%

炭素   11.6 kg    19.3%

水素   5.58 kg     9.3%

窒素    3.08kg     5.1%

※四元素全部の重さ(比率) 57.86 kg (96.4%)

 空気中に気体として存在する酸素を人は呼吸していますが、体の構成成分として酸素含量が多いのは、人の体重の約60%が水であり、水を構成する元素の一つが酸素であるためです(「血液と海水の無機成分濃度」、「神の霊によって」、「いのちの血液」、等を参照)。また窒素は気体として空気中に約80%含まれており(「大気の組成」)、炭素は固体の炭やダイアモンドなどとしても存在しています。微量元素で比較的多いのは、カルシウム、硫黄、リン、ナトリウム、カリウム、塩素、マグネシウムで、これらが2.01kg(3.35%)含まれ、これを加えると99%以上になります。超微量しか含まれていない鉄、銅、亜鉛、セレン、マンガン、ヨウ素などは、全部で僅か7.9g(0.013%)に過ぎませんが、これら微量成分は、いずれも生体内で重要な機能を果たしていることが、科学の進歩と共に明らかになってきています。

 例えばカルシウムは骨の成分であるだけではなく多くの生理反応に重要であり、また、リンは遺伝をつかさどる核酸(DNA及びRNA)の構成成分であると共にエネルギー反応に関わり、まさに生命の根幹を支配し、これがないと生命は存在し得ないことはよく知られています。超微量成分である鉄はヘモグロビンと共同して酸素を運び、銅は呼吸をつかさどる酵素に含まれ、鉄や銅がないと酸素呼吸をする動物は直ちに生命を絶たれます。そして、亜鉛やセレンなどに及ぶまで、これら微量元素は偶然混じったのではなく重要な生命反応に必要であるから意図的に微量加えられたのです。しかし多すぎると支障を生じ、実にそれぞれに最適な量が含まれている必要があるのです。

 このように、創造主が生きた魂を持つ人を土のちりから造られたことは、人体の構成成分の分析値から垣間見ることができます。つまり、創世記2:7の記述は、人類進化の考えが誤りであることを述べているのです。「『最初の人アダムは生きた者となった。』・・・第一の人は地から出て、土で造られた者」(Ⅰコリント15:45, 47)と書かれていて、人は動物を祖先として生まれたのではなく、神から直接魂を受けたことが新約聖書においても確認されています。主の語られたことばによって動物にも「生命の息」は分け与えられていたのですから(創世記1:24, 7:22)、動物進化の長い過程を経て人になったとすれば、その時点においてすでに生きた魂であったはずでした。しかし、主によって直接「命の息を鼻に吹き込まれて」、人は初めて生きた魂となったのです。

 進化論を受け入れているクリスチャンたちは、「土地の『ちり』とは、創造主が進化の過程を始めるために使われた化学物質を象徴している、つまり、化学物質から遂に人になったという進化の要約が創世記2:7に書かれている」と説明しますが、この主張は上記のように、旧約、新約両聖書によって否定されているのです。しかし、仮に「ちりからアダムに」が進化の過程を表しているとすれば、エバは直接ちりから造られたのではなく、完全に人であったアダムのあばら骨から造られた(次項「アダムのあばら骨」参照)ことを、どのように理解できるのでしょうか。

 別の有神進化論者は、創造主がアダムを造るために用いられた「ちり」という言葉は、類人猿のような生物を象徴しているのだと理解します。しかし、「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」(創世記3:19)と定められているのです。「ちり」が類人猿であったと仮定するなら、死後、私たちは類人猿になるというのでしょうか。土葬していた時代には、死後、土に帰る事実が人の目に見えなかったのですが、火葬が普及するにしたがって自分自身の目で確認することになりました。人は造られた元の「ちり」、つまり一塊りの無機物に帰ることを、まさしく聖書が述べている通りであることを、私たちは今、体験的にも知っているのです。


「創世記の記録」ヘンリー・モリス著(創造科学研究会)、「偽りの構図」ケン・ハム著(創造科学研究会)、臨床検査学講座「生化学」(医歯薬出版)