5-35.非常に良かった

第5章 6日間(144時間)の天地創造

5-35.非常に良かった

そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。それで神は、第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち、第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。神はその第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。(創世記1:31-2:3)

 創世記1:1に始まる創造の各過程で主は6回「良し」と言われ(種類にしたがって創造の順序、を参照)、すべての創造のみ業を終えられた時点で、お造りになったものすべてを最終点検なさいました。そして、創造された作品全体が完全な調和の中にあり、その中に豊かないのちが育まれているのを大きな喜びを持ってご覧になり、「非常によかった」と宣言されました。これは愛と正義である全知全能の創造主の判断であり、絶対基準において「非常に良かった」ので、良くないものは何一つありませんでした。宇宙地球には天災(地震や洪水など)や汚染はいっさい無く、不均衡、不調和、無秩序、罪なども無く、人や動物は不老不死であり、争い・いさかい・肉体を傷つけることなどはもとよりのこと、死はどんな種類の死もいっさいありませんでした。

 激烈な突然の死によって形成され、地殻の堆積岩の中に現在見出される化石は、「人を通して罪が入り、罪によって死が入った」(ローマ5:12)後に、「被造物全体がともにうめきともに産みの苦しみをしている」(ローマ8:22)時代に生じたものなのです。したがって化石が創造の六日間に(日=時代説や漸進的創造説)、あるいは創造の前(間隙説)に堆積したはずはありません(夕と朝によって刻まれた1日創造の一日は24時間、及び、主が組み込まれた体内時計、を参照)。創造の一日を一地質時代として、「創造」と「闘争と労苦、無数の死」という矛盾する二種類の出来事を繰り返し(地質時代の概念)、岩石中に遺骨が埋まるのを見ながら創造を終了した後に、愛の神が「非常に良かった」と言われるはずはありません。聖書で啓示されている創造主は、無限の秩序の神であって混乱の神ではありません。堆積岩や化石記録などについては、次回以降のノアの洪水による大激変の項目で順次学びたいと思います。

 完璧で美しい創造のみ業について、「地の基を据えられ」(詩篇102:25)、「地はあなたの造られたもので満ちています」(詩篇104:24)と、被造物である「み使いよ、日よ、月よ、輝く星よ、山々よ、実のなる木よ、獣よ、翼のある鳥よ」「主をほめよ」(詩篇148)と、「わたしは万物を造った主だ」(イザヤ44:24)、「その上に人間を創造した」(イザヤ45:12)、「神、主よ。・・・大きな力と、伸ばした御腕とをもって天と地を造られました」(エレミヤ32:17)と、様々な表現で聖書に書かれています。

 「万物を創造された神の中に世々隠されていた奥義を」(エペソ3:9)、「万物は御子にあって造られた」(コロサイ1:16)、「みわざは創世の初めから、もう終わっているのです。・・・神がご自分のわざを終えて休まれた」(ヘブル4:3, 4, 10)、「信仰によって、この世界が神のことばで造られたことを悟り」(ヘブル11:3)、「人をご自身のかたちに創造され」(Ⅰペテロ1:27)等々、創造のみ業の素晴らしさとその完成が、新約聖書でも強調されています。

 このように創造の全工程が主の御旨の通りに行われ、平和で完璧な世界が造り上げられたことを創世記に明確に示されたのみならず、その後にも繰り返し語られている理由は、宇宙に現在起こっている現象は創造の際に起こった現象ではなく、人が罪を犯した結果(創世記3:17-19、ローマ5:12、Ⅰコリント15:21)世界にもたらされたものであることを示しているのです。

 昨今、「人は罪人である」という側面だけが一人歩きし、罪意識ばかりが前面に出ているために、他人を責め自分を責めているキリスト者が大勢いないでしょうか。しかし、罪は罪として処理されなければならないものであり(ローマ7:17)、十字架の影に隠れて主のみ姿に変えられていく(Ⅱコリント3:18)ことを喜んで受けとめてこそ、キリストの十字架の犠牲が無駄に終わらないのです(Ⅰコリント1:17, 18)。異邦人中の異邦人で様々な偶像に取り囲まれた日常が当り前である日本人は、愛・正義・完璧な創造主を知らず、そのみ姿が映し出されて造られた自分であることを認識していないのではないでしょうか。主御自身によって判断された創造の総括は「非常に良かった」であることを忘れていないでしょうか。人の創造の時には、宇宙・地球・動物・人々全体が美しく完璧なものとして完成されたのであり、人はその時もいつまでも主の愛の対象であり続けているのです(イザヤ43:4、ヘブル13:8、Ⅰヨハネ 4:10)。


「創世記の記録」ヘンリー・M・モリス著、宇佐神正海訳
挿し絵は堀越暢治著「大自然の不思議発見」より。著者の許可を得て転載