創造主に出会って ~第七章~

創造主に出会って ~第七章~

創造主との出会い

 遂に私は、思い切って教会の礼拝に出かけたのです。

 その日の賛美は、「我に来よと主は今、優しく呼びたもう。などて愛の光を避けて彷徨う。帰れや我が家に帰れやと主は今呼びたもう。」というものでした。それを聞いたとたん、涙がどっと溢れ出て止まらなくなりました。

 その涙の中に、聖書の言葉が響いてきました。「私は黙っていたときには、日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。」詩編32編の言葉が私の心に飛び込んで来たのです。

 私のこの苦しみは、神の御手だったのだ!神は、おられる!神は、私の心を知っておられて、私を招いておられる!と感じたのです。すると、言い知れない喜びが沸き上がってきて、礼拝中ずっと、「神様、あなたはおられたのですね。私を知ってくださっていたのですね。あなたを否定してきたこと、ごめんなさい。」と心で叫んでいたように思います。

 そこは、まるで別世界、神様と私の二人だけの至福の世界でした。

 正直、メッセージは何も覚えていません。

 「神のなさることは、すべて時にかなって、美しい。」

 その時から鬱症状から解放され、喜びに満たされたハネムーンのような日々が始まりました。

 その午後、牧師の奥山実先生に面会を申し出て、その経験を話そうと思ったのですが、そのように事は進まず、先生は福音を語って信仰に導こうとされたのですが、私は頑なに拒んでなかなか信仰告白をしなかったようです。個人伝道で、私のように時間のかかった人はいなかった。と後で先生に言われたのですが、私は、あまり覚えていなくて、最後に号泣して「イエス様を受け入れます」と言った事は覚えています。

 しかし、イエス様の十字架と復活の福音理解は、もっと後になってからで、ただ、創造主に出会った事の喜びに溢れていました。

 その夜、寮の人々に寮の集会室に来てもらい、みなさんに私の体験を聞いてもらいました。そして、次週から、数人の人と共に礼拝出席することになりました。(何人だったか忘れました。)そのうちの一人の姉妹が洗礼を受けて信仰生活を続けていたのですが、10年位前に脳腫瘍で召され、信仰の証を遺して逝かれました。京都の教会で葬儀があり、そこに参列した同級生の一人が今、カトリック教会に通い始めています。

【続きます】

濱本 章子 副牧師