創造主に出会って ~第五章~

創造主に出会って ~第五章~

教会出席をし始めた頃の事

 ある時、教会で英語を無料で習える・・という話を聞いて、教会に行ってみました。

 無料は、英語バイブルクラスだけでしたが、とにかく無料の英語に惹かれて通い始めました。宣教師が英語のバイブルを読み、英語で解説するのでチンプンカンプンでしたが、それでも少しづつ聞き取れる言葉も出てくるので、続けておりましたが、うっとうしいのは、伝道師の方が親切に日本語で解説されるのです。その頃の私は、聞く耳を持ちませんでした。

 母の再婚相手である長井の父は、共産党の幹部で我が家は事務所でした。それで、共産党の子供という事でいじめられた経験があります。

 しかし、両親の思想は、私の中にしっかりと根付き私も、無神論者でした。ですから、教会に行っても、「宗教はアヘン」と聞かされていましたので、決して信者にはならないという自信がありました。

英語バイブルクラス後に礼拝に誘われるので、礼拝に出席して驚いたのは、聖歌隊の歌でした。心に響きました。それで、私も歌いたいと思って参加を希望したところ、あっさり受け入れてくださいました。

 私は、聖歌隊で歌うために礼拝出席を続けました。メッセージには全然関心を持たず、時は過ぎて行きました。

 英語バイブルクラスでは、聖句暗唱を求められたので、英語の聖句は、暗唱しました。

それが聖書に触れた最初でした。

 その頃、学校では病院実習が始まっておりました。そこで、驚いたのは、慢性腎炎の患者さんが多かった事です。その中でも、印象に残っているのは京大4回生の男性で、病状悪化のためにそのイライラを職員にぶつけるので、嫌われていた人です。ある日、彼の部屋に入ると、珍しく彼は新聞を見せて、「市長さんの娘さんが慢性腎炎で亡くなった。可哀想に・・・」と言ったのです。当時の京都市長さんがどなただったか忘れましたが、その方の娘さん、確か19歳だったと思います。当時、透析器は日本に東大病院と京大病院に一台づつありましたが、一般の慢性腎炎治療には、使われていませんでした。

 その京大生の病室の壁に、「為(せ)ん方つくれども希望(のぞみ)を失はず」との言葉が貼ってありました。「良い言葉ですねえ」と言うと、彼は、「看護婦さんが貼ってくれたのです。」と言って、「希望ねえ」と感慨深い様子でした。私は、この言葉が強く心に響きました。

 この言葉が聖書の言葉だと知ったのは、数年後に文語体の聖書を読んだ時でした。

 ある時、特別伝道集会に誘われました。気は向かなかったけれども、お世話になっている手前、断り難くて参加したのです。その時、初めてメッセージが心を刺しました。「あなたは、罪人です。」という言葉です。何という酷い言葉でしょう!皆、罪人なんて・・これは、おかしい。やはり、アヘンだ!私は、二度と教会には来ないという決心をして寮に戻りました。

 しかし、「あなたは、罪人です。」という言葉が頭から離れず、初めて眠れない夜を過ごしました。

 それから、だんだん憂鬱になって・・・食べられない、眠れない、やる気が起こらないという典型的な鬱症状になってしまったのです。学校にも行けなくなって・・・教諭から精神科受診を勧められましたが、絶対に嫌でした。

 一人で悶々とした日々を過ごしているうちに、こうなった原因となった場所に戻ったら解決するのでは?という思いがよぎりました。でも、絶対に教会には行かない!と決めたのに・・・教会か?精神科受診か?決断の時です。これ以上長引かせると危ない・・・と思いました。

【続きます】

濱本 章子 副牧師