創造主に出会って ~第十七章~

創造主に出会って ~第十七章~

章子の聖霊体験

 最近起こっているあの不思議、異言、癒しは、本当に聖霊の業なのか、それと教団が判断したように悪霊の業なのか? もし、悪霊の業なら、私たちは、とんでもない事に関わっているのではないか? 私の心は騒いで眠れそうにない。
その時、神様に聞いてみたら?という思いが来て、どうせ眠れないのなら、起きよう!と思って、隣の部屋へ行きました。

 窓の無い部屋で、祈ろうとしたその時です。強い風が吹いてきて体がうつ伏せに倒されました。と同時に高圧電流のようなビリビリ感が全身を覆い、何とも表現出来ない喜びに包まれたのです。「神の愛がわたしの心に注がれている」というみ言葉が響いてきました。

 声は聞こえなかったのですが、これが聖霊の注ぎだと分かりました。これ以上の喜びがあるでしょうか?もう、何もいらない!私は、ずっとこの状態が続く事を願いました。それは、大波のように、強くなったり、弱くなったり・・私はただただ、聖霊の臨在を楽しんでおりました。どれくらい続いたのか覚えていません。

 朝になると、それは、消えていました。しかし、私の体は軽く、雲の上を歩いている感覚でした。
朝、起きて来た夫に伝えると、雲の上を歩く感覚は、彼自身、吉野の山に何も持たずに伝道に行った時に味わったそうです。もう、恐れるものは何も無い!主が共に居られる!

 しかし、現実は厳しいものがありました。この喜びを何人に伝えたかは覚えていないのですが、電話は、早々に切られたので、人々との連絡が出来なくなりました。又、住まいは、早急に出なければなりません。何よりも悲しかったのは、聖徒たちが私たちを恐れの目で見るようになり、道で会っても逃げてしまわれるのです。そんな中でも、青年たちが私たちのために、安価で古い一軒家を探してくれたのです。その中の一人がО兄です。

 引っ越した先は、楠葉の野田。最初は、家で集会を始め、後に野田公民館を借りる事が出来ました。収入が無くなった私たち家族のために、義妹は、毎週、三人の娘を連れて来てくれました。ショッピングカートに一杯のご馳走を詰めて・・・
エリヤを養ったカラスのように・・・

 又ある日、藤が丘教会から4人の姉妹たちが訪ねて来られたのです。藤が丘教会にも、私たちの事が伝えられ、悪霊につかれているから、交わりをしないように・・・との通達を受けて、心を痛めた姉妹たちは、「先生は、ご熱心のあまり、気がおふれになられたに違いない。行って、癒されるようにお祈りしよう。」と相談して来てくださったのです。どんな状態にあっても見捨てない聖徒たちの愛を見せられて大きな慰めを受けました。私たちは、ありのままを話し、私たちが精神異常でない事を彼らも認めて、喜んで帰って行かれました。

 その後、しばらくして、奥村兄姉、丸山兄なども加えられて、楠葉クリスチャン・センターとして群れが形成されて行きました。
その頃、義兄は、アーニーさんの祈りによって癒しを受けた事から、信仰を復活させ、色々と援助してくれるようになりました。しかし、義姉がALS(筋萎縮性側索硬化症)の難病に罹っており、私は、義姉を支えるために毎日のように出かけましたが、奇跡は起こりません。ある時、義姉は、ヨハネ3:16が示されて、天国の希望を持ったようです。祈りが聞かれなかった事は、ショックで、もう癒しの祈りはしたくない・・と思ったほどです。

 アーニーさんとの関わりは、しばらくして途絶えました。夫が自称使徒である彼に従わないという事で縁を切られたからです。私には、何故神の僕が独裁者のような振る舞いをするのか疑問でした。又、癒しの祈りに対する疑問などもあって、あの聖霊による喜びも失せていきました。

 夫は、働き人は福音によって生活すべきとの信仰を貫き、この世の働きで収入を得ようとはしませんでしたが、必要は、奇跡的に満たされておりました。
しかし、私は義姉の癒しという祈りの目標を失い、必要は満たされていても、定収入を得たいという思いもあり、務め始めました。久しぶりの病院勤務は新鮮で、忙しいながら充実感があり、責任ある立場でもないために自由に楽しく過ごさせてもらいました。

 ところが、ある朝、目覚める前にはっきりした声で言葉が聞こえて来ました。
「もし、あなたがたが心を一つにするなら、御国の支配の鍵をあげる。」これは、どういう事だろう?祈っているうちに、私の心が福音の働きよりも、病院の働きの方を楽しんでいる事に気づかされました。夫が霊的な事に向かっているのに、私はそうではない。

 心を一つにするとは、私がこの世の働きを止めて、福音の働きに心を向ける事ではないのだろうかと・・・その事を夫に話すと、大喜びでした。私の留守中の家事、育児から解放されたいと願っていたからです。

 私の方は、自分の働きの充実感を味わいたかったので、家事、育児だけではなく、牧師と共に働きたかったのです。(どうも、自分が主導権を握りたかったようです)、それが食い違いの源で、争うようになり、「又、働きに出てくれ」と言われてしまいました。

 しかし、私たちの葛藤とは裏腹に教会は、成長し、牧師給を頂けるようになりました。
私も自分の傲慢さを悔い改め、従うようになると、いつの頃からか、牧師も私を同労者として認めるようになりました。

【続きます】

濱本 章子 副牧師