6-18.主の統率の下に

第6章 ノアの洪水

6-18.主の統率の下に

あなたは、深い水を衣のようにして、地をおおわれました。水は、山々の上にとどまっていました。水は、あなたに叱られて逃げ、あなたの雷の声で急ぎ去りました。山は上がり、谷は沈みました。あなたが定めたその場所へと。あなたは境を定め、水がそれを越えないようにされました。水が再び地をおおうことのないようにされました(詩篇104:6-9)。

 地球をひっくり返した大洪水について、創世記以外に、旧約聖書、新約聖書にどのように記載されているかを再度詳細に見てみましょう。
冒頭に挙げた詩篇104篇では、ノアの洪水の初めから終わりまでがどのようであったかを、極めて簡潔に要点を押さえて記載されています。「深い水が、山の上まで長期間、すっぽりと地を覆ったこと」「主が洪水を起こし、限度を設けられ、すべてが主の支配下に統率されていたこと」「主の命令で水が引いて終息したこと」が書かれています。

 主は「大洪水の時に御座に着かれ、とこしえに王として御座に着いておられ」(詩篇29:10)、創造主を拒み続けてはばからない世界に対し、主は威厳を持って裁きの御手を置かれました。
主の声は水の上にあり、雷鳴を響かせ」、「主の声は力強く」、「主の声は威厳があり」、「主の声は、杉の木を引き裂き」「主の声は、火の炎を、ひらめかせ」、「主の声は、荒野をゆすぶり」、「主の声は、大森林を裸にする」(詩篇29:3-5, 7-9)と、実に七回、主の声が大水の上にとどろき渡ったと記されており、全てが主の統率の下にあったことが分かります。
この七回の主の声は、未来の裁きの叫び「七つの雷」に対応するものであると理解されています。そしてそれをヨハネだけが聞きましたが、書き記すことを禁じられたので、その内容は分かっていません(黙示録10:3, 4)。

 全地球をすっぽりと覆い、山が上がり、谷が沈み、地がくつがえった洪水(ヨブ記12:15、22:16)は主によって起こされたこと、完全なものとして造られた地球が、お造りになった創造主ご自身の御手によって覆されてしまったことが繰り返し書かれています。
そして、イザヤ書には、ノアの洪水の日のように地上が堕落しても、再び「大洪水が地を滅ぼすようなことはない」(創世記9:11)と洪水の後に誓われたと改めて述べられており、主の変わらない愛は人々を見捨てることはないことが確認されています(イザヤ54:9, 10)。

 ノアの洪水以後現在に至るまで、世界中で大きな洪水が頻々と起こっていることを私たちは知っています。主がこのように誓われたということは、有名なナイル川の氾濫による洪水やその他の大洪水と比べても、ノアの洪水はそれらとは全く異なった、地球全体を覆うものであったことの別の証と考えられるでしょう。
主は決して偽りを言われないお方、約束されたことを成し遂げられるお方(民数記23:19、申命記32:4)ですから、ノアの洪水を局地的な洪水であったなどと言うのは、幾重にも主を冒涜する行為になるでしょう。

 新約聖書に於いては、イエス様がご自身の再臨のことをおっしゃった時に、ノアの洪水の日のことと比較して、この洪水を実際に起こったこと「歴史」として引用しておられることが、まず真っ先に挙げられるでしょう(マタイ24:37-39, ルカ17:26-27)。
腐敗しきった世に主が備えてくださった箱船による救いを、主を見捨て、狂乱しきっていた人々には理解出来ませんでした。ノアの家族にとっては予期し、備えていた洪水だったのですが、他の人々にはあまりにも突然の出来事だったのでしょう。「洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかった」(マタイ24:39)のと同じように、主の日は突然訪れるのだとイエス様はおっしゃっています。「目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです」(マタイ25:13)と主ご自身が警告を発しておられるように、イエス・キリストの救いの大船に乗る恵みを受け取らないと、取り返しのつかないことになってしまうのです。

 ヘブル書には、まだ見ていない事がらに関する主からの警告をノアが素直に信じ、箱船の救いを得たことが書かれており(ヘブル11:7)、ペテロも洪水の出来事とノアの義を語り、当時の世界はノアの洪水によって滅び去ったと書いています(Ⅰペテロ3:20、Ⅱペテロ2:5、3:5, 6)。
エゼキエル書には、三人の正しい人としてノア、ダニエル、そしてヨブが並んで挙げられています(エゼキエル14:14, 20)。また、ノアは旧約聖書(Ⅰ歴代1:1-4)にも新約聖書(ルカ3:34-36)にもキリストに至る正式な系図の中に記されていて、実在した歴史上の人物であり、或る人々が言うように空想上の人物などではないことは明らかです。そして、ノアの洪水、箱船による救いの出来事などすべてが、まさに聖書に書かれているとおりに歴史上起こった事実であったことが、聖書によって証言されているのです。


参考書:ヘンリー・モリス著、宇佐神正海訳「創世記の記録」(創造科学研究会)