6-33.いのちである血

第6章 ノアの洪水

6-33.いのちである血

すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。さきに青草をあなたがたに与えたように、わたしはこれらのものを皆あなたがたに与える。しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない。(創世記9:3, 4、口語訳)。

 聖書六十六巻を読んで、命、血、動物、そして人に関する創造主の定義を学ぶのは決して容易ではないことに気が付きます。
日本に生まれ育ち、進化論を真理として受け容れて常識を確立した後に、天地万物を初め、人をもお造りになった創造主を信じ、イエス様をキリスト、救い主として信じた場合、築き上げられた「常識」の後遺症は甚大で、聖書の理解度が著しく損なわれています。
進化論に裏打ちされた頭脳活動・感情支配とはかけ離れた出来事・記述は読んでも読まず、字面を追いかけても目も心も宙をさまよい、納得するどころか、ただの知識としてさえ入って来にくい現実があります。

 動物を食べることを許可なさった主は、動物と人との間に越えることの出来ない境界、支配と被支配の関係を明らかに定められました。
その上で、血の付いたまま肉を食べることを禁じ、後に定められた律法に明確に書かれました(レビ記7:26, 27; 17:10-14)。
血を食べてはならない理由は、「肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である」と述べられています(レビ記17:11)。
「その血が、いのちそのものである」ので、「どんな肉の血も食べてはならない」のです(申命記12:15, 16, 22-25)。

 動物において血液は循環系、動く臓器、と言われるように、全身に「もの」を運搬する役目を担っています。言わば身体の中に造られた「宅急便」と理解するとよく分かるでしょう。
宅急便が「幅広く様々なものを、一軒ごとに」配送するように、血液は委託されたあらゆる配送物を全身に配って回ります。配送物の中で最も重要なものが、命を支える酸素です。
酸素が途切れると指先でさえ長くは持ちません。ゴムで堅く縛ると青くなり、放っておくと指先は腐ってしまうことは誰でも知っているでしょう。

 最も重要な中枢である脳はさらに敏感に反応し、酸素欠乏に1時間とは耐えることが出来ず脳死に至ります。
血液が全身に運搬する配送物の中で酸素に次いで不可欠なものは、水でありそして各種の栄養です。
各細胞、組織、臓器、そして一個体全体の命を支えるために不可欠な任務、すなわち全身に酸素・水・栄養、エネルギーを運ぶ役割を血液は果たしています。
このようにして、心臓を初めすべての臓器が活躍して命を支え、また正常な脳の働きを維持します。ちなみに、通常脳の働きとして認知されている意識や思考活動だけではなく、末梢の様々な感覚、痛い・冷たい・舌の味覚まですべてが脳の働きの重要な一部なのです。

 血液は同時に、生ゴミ・廃物回収業務を担当しています。生きているということはエネルギーを消費して生命を維持し、活動したことによって各種の生ゴミ、汚物、廃物、すなわち炭酸ガスや生命体にとって不要で有害な各種の物質を生じるということです。
健康であることの一つの条件は、この廃物処理が順調に行われていることです。血液は廃物・汚物を集めて回って、体外に排泄するための臓器に送り込みます。重要な廃物処理臓器である肝臓や腎臓が正常に働かなくなると著しく健康を損ね、やがてその個体は死んでしまいます。

 このように循環系の運搬・回収という反対方向の二つの生理学的機能を見るとき、生物学としてだけ理解しても「血が命そのものである」という聖書の記述に合致しており、納得させられます。
血液についてはこのシリーズで様々な視点から何回か取り上げていますので参照してください(血液と海水の無機成分濃度 及び 血液と海水の無機成分濃度2植物細胞と動物細胞血液中の血球成分いのちの血液)。

 さて、このように血が命そのものであるからこそ、いけにえの動物の血が流され、祭壇に注ぎかけられて、人の罪を覆うための身代わりの死として神に受け容れられました。だから、その血を食べてはならないと言われました。
また、動物であろうと人であろうと、命の血を飲むことでその生物の命の特質が飲んだ者に組み込まれるという異教的考えを排除しようとする主の御旨もあったかもしれません。(スッポンの血を飲む人々は、そのようなことを期待していると言っていたのを聞いたことがあります。)

 生物学的には、血液はその個体の保有している様々なものを浮遊させ、融け込ませています。
病原菌に感染している場合は危険な菌が多数血中を泳いでいるでしょうから、それを飲むと感染する危険性は高いでしょう。
また、菌の分泌した毒物が溶け込んでいるでしょうし、その菌や毒物に対する抗体が溶けているでしょう。
このように血液を飲むことは、医学的にも危険なことです。そのことへの警告でもあったかもしれません。