6-31.人と動物との敵対関係

第6章 ノアの洪水

6-31.人と動物との敵対関係

それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。野の獣、空の鳥、・・地の上を動くすべてのもの・・それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。(創世記9:1, 2)

 創世記1章で「生めよ。ふえよ。地に満ちよ」と主は祝福を与え、生き物を責任を持って適切に統治しなさいと人に命じられました(1:28)。天地万物が完璧なものとして創造された時に、地上のすべてのものを支配・統括する権限を人は委ねられて、人と動物とは仲の良い関係に造られました(1:29, 30, 2:19, 20)(「六日間の天地創造:完璧な世界」を参照)。そしてイエス・キリストの再臨の後の来るべき争いのない世界では、狼と子羊、豹と子山羊と乳飲み子とコブラやマムシなどすべてが仲良くすると書かれています(イザヤ書11:6-9, 65:25)。

 大洪水の後で再び主は「生めよ。ふえよ。地に満ちよ」と祝福の言葉をお与えになりました。そして人は地上の管理責任者として失格だと任務を取り消されることなく、「あなたがたにゆだねている」と人への任命は改めて継承されました。
主の支配権の下に、人は自由に地球と、そしてそこにある植物、動物を支配出来ました。しかし、祝福と任務の再確認の言葉の間に、創造の時には決して無かった「これらすべてはあなたがたを恐れておののこう」という言葉が付け加えられています。「野の獣、空の鳥、地の上を動くすべての動物と海の魚」は人の権威にもはや頭を下げなくなり、喜んで従うのではなく、人を敵として恐れ、逃げるようになり、相互に敵対関係が生まれました。

 それ以来、主に託された管理の任務に人が失敗を重ねていることは、誰の目にも明らかで、地球は破滅に向かって突っ走っています。地球の覆いが薄くなり、オゾン層には穴が空き、宇宙からの有害光線が地上に降り注いでいます。森林は伐採され充分に補充されないので地球は砂漠化に向かい、合成肥料・洗剤などによる土壌や海や河川の汚染は目を覆うばかりです。
瀬戸内海は半世紀前は海水浴が楽しめる美しい海が広がっていましたが、今はその面影は全くありません。日本列島は汚染された海に囲まれています。地球が脆くなっていて少しの変化にも防御機能を果たし得ず、雨や台風による破壊的効果はひどくなる一方で、今年も「自然災害」と称する人災が世界中で猛威を奮いました。

 家畜やペットは多少事情が異なりますが、野生動物は人と敵対関係が出来た後も、意識したかどうかには関係なく、人と互いに棲み分けをすることによって曲がりなりにも平和な共存関係を保ってきました。
ところが、それさえ破綻している事実は、ある特別な環境にある人々や職業人だけが認識する段階を通り越して、一般の人々の市民生活を脅かすようになっています。
人が支配するようにと言われたのは、動物を生きるすべのない状態に追い込んで勝手に犠牲にしても良いということではなく、平和に生きるように統治しなさいということであったはずでした。
しかし、まず人間があらん限りの傲慢な利己主義を尽くして、野生動物たちのいのちを脅かしたので、彼らは絶体絶命のピンチに追いつめられ、逃れる場を失って瀕死の状態で助けを求めているのです。

 観光地での猿の「暴挙」は始終テレビで取り上げられますが、猿を悪者にして人間は行動を改めようとはしません。今年は、熊が大出没しています。そのために人にも犠牲者が出ましたが、人間は卑怯にも飛び道具を使って、あまりにも数多くの熊のいのちを奪いました。
人間は動物の上に置かれたものだから、動物のことに心を遣うことはないのだと考える人々がいます。しかし、主は動物を創造して祝福を与え(創1:22, 25)、ノアに直接命令を与えて箱船に動物を入れて洪水から救い出されたのです(創7:2, 3)。雀1羽であろうとも主の許しなしには落ちないとイエス様はおっしゃいました(マタイ10:29)。

 主にとって動物がどうであっても良いのではありません。多くの都会では生ゴミをねらうカラスとの戦いに住民は草臥れ果てています(カラスはにおいではなく眼で見て好物かどうかを知りますので、脂肪分が高くてカラスの好むものは新聞紙にでも包んで出せば荒らさないようです)。
駅や公園での鳩糞害も自分勝手な人々が餌を与えて過剰増殖させるからで、野生動物との接触の仕方を子供にも大人にも教育する必要を感じます。野生動物に気ままに餌を与えることは、原則的にはしてはならないことです。孤独な老人の楽しみを奪うのかと、屁理屈を捏ねる人々もいますが、問題点のすり替えです。
自然を乱し、迷惑を及ぼしても公園の鳩に餌を与えることで孤独を堪え忍ばねばならない状況に老人を追い込むことこそ、解決しなければならない問題なのです。

 野生動物だけではなく、ペットに関しても気まぐれに飼育しておいて、自分の事情が変わったからといって捨てる人々が後を絶たず、野犬化し群れをなして人を襲いアメリカで大問題になったのは何十年も前のことでした。野生動物・家畜・ペットいずれであっても、飼育、或いは接触する人間の管理責任は、主の御前に今なお無くなってはいないのです。