6-29.初めから悪であるから

第6章 ノアの洪水

6-29.初めから悪であるから

ノアは主のために祭壇を築いた。そしてすべての清い家畜と清い鳥のうちから取り、焼き尽くす献げ物として祭壇の上にささげた。主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい(創世記8:20-21、新共同訳)。

 どれだけ莫大な量の動物の血液を流していけにえを捧げようとも、人の罪は決して拭い去られるわけではありませんが、それでも真心を尽くしたいけにえを主は受け容れて下さいました(詩篇51:16、イザヤ43:23, 24)。
主が喜んで下さるいけにえは「主の御声に聞き従うこと」(Ⅰサムエル15:22)であり、「砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。」(詩篇51:17)であると書かれています。
逆に、主は逆らう者のいけにえをいとい(箴言15:8)、逆らう心をもっていながら儀式的に捧げるいけにえは忌むべきもので(箴言21:27)、主は受け取って下さらないと聖書に数多く書かれています(イザヤ1:11、ホセア6:6、ヘブル10:5, 6)。

 箱船から出て真っ先にノアが捧げた全焼のいけにえは香ばしい香りを放ち、その捧げものを主は受け容れて、恵み深い応答をなさいました。かつて主はアダムに、「必ず死ぬ」から「食べてはならない」と前もって警告され(創2:17)、にもかかわらずアダムが背いたときに「あなたは土に帰る」(創3:19)とおっしゃいました。
そして「土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった」(創3:17)とも言われましたが、その呪いに対して慰めを与える役割をノアは担っていました(創5:29)。

 ノアは主が命じられた通りに、船を造り家族と動物と共に洪水を生き延びました。そして、この洪水の後、ノアが捧げた衷心からのいけにえを受け容れて、「大地を呪うことは二度とすまい」、エデンで宣言された呪いに新たな呪いを付け加えることはしないと主はおっしゃったのです。
さらに「この度したように」地球全体に及んだこのような大災害を起こして生き物をことごとく打つことは、二度としないというお約束をもなさいました。このことは「大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない」(創9:15)と繰り返しておっしゃっています。

 ノアの家族が受けた主の恵みは、今後二度としないという約束なので、そのままノアの子孫に受け継がれました。
すなわち現在の人類は一人残らずノアの子孫であり、箱船に救われた三人の息子夫婦、セム、ハム、ヤペテの子孫ですから(創10:19)、アダム夫婦の罪が全人類に引き継がれているように、ノアが受けた恵み・祝福は延々と私たちにまで及んでいます。

 さて、この恵みを与える理由のように書かれているのが、「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ」ということです。翻訳によってこの部分は多少ニュアンスが異なっています。
英語訳7種(NIV, NKJV, TEV等)でも「若い時、子供の時」という翻訳になっていますが、幼い時とは何歳までを指すのでしょう?
新改訳では「初めから」と翻訳されていて生まれながらにという意味合いが濃く、アダムが背いた時に遺伝子に組み込まれた「悪」を考えさせられます。
ちなみに、遺伝子のゲノム分析まで終了しても、このような「悪の思い、信仰心、永遠への思い」などが遺伝子にどのように刷り込まれているのか、それを解析する糸口さえ人類はまだ知りません。

 もう一点は「悪いのだ」という表現で、口語訳、新共同訳では事実を断定した描写で、どうすることも出来ない、避けられないという意味が言外に含まれている表現と読んでも良いでしょう。
英語訳では、「悪であるけれども」(NIV, NKJV, NLT, CEV)、又は「悪であるから」(NASB, KJV, ASV, ESV)と、いずれも一歩踏み込んだ表現として翻訳されていますが、「けれども」と「あるから」ではニュアンスはかなり異なります。新改訳では「悪であるからだ」とはっきり理由としての表現が採用されています。
悪は処罰の対象であるべきなのに、悪であるから処罰しないのは一見矛盾した内容で、ぼんやり人間的判断を駆使して理解しようとすると全く意味不明になってしまうでしょう。

 主は、み姿のかたちに慈愛をもってお造りになった人を準備万端を整えた地球に置かれ、人の背きをご覧になり、大きな痛みをもってエデンの園から人を追放されました。創造の初めからこれらの出来事までをじっくり想起するとき、初めてこの一節が理解できるでしょう。遺伝子に刷り込まれていて避けられないから、一方的に恵みを与えるのだという、人間の理解を超えた深遠な愛そのものであられる創造主だけが、このような発想が可能なのでしょう。

 『全物質はいつも秩序を失う方向へだけ、破壊に向かって進行する』という自然の根本法則である熱力学第二法則が、人の背きによって開始したのです。
それでも主は忍耐強く、慈愛に溢れて、後の人類にまで波及する恵みを、ノアの家族を通して与えられたのでした。

英語訳聖書の略号:ASV, American Standard Version; CEV, Contemporary English Version; KJV, King James Version; ESV, English Standard Version; NASB, New American Standard Bible; NIV, New International Version; NKJV, New King James Version; NLT, New Living Translation; TEV, Today's English Version